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颶vol.2 「虚像は軈て」を読んで

今回、颶vol.2の感想を書いてみようと思う。

田村美奈作「虚像は軈て(やがて)」は奇妙な構造を持った詩作品だ。序文にあたるものが二つあり、(ひとつ〜むっつ)の章がある。それぞれが独立した作品であるが、一連の流れに読める。

作者曰く「官能と分断」をテーマとした作品である。

最初に読み始めて感じることは、文の表象感と漢字のニュアンスに絶妙な差異があるところだ。「おちて」と「あげて」の対比、「往く」と「逝く」の対比は官能的であり分断的だ。言葉の端端にテーマを滲ませている。

ひとつ

「彼女が過らなかったわけじゃない」とはどんなことだろう?恋人との逢瀬の中でよぎったのだろうか?よぎったのは彼女=恋人なのだろうか?
「存在を視認せずに生きれたら〜見えたことだろうかと」から読むと、(彼女)は横切っているようにみえる。(彼女)は何者だろう?虚像なのだろうか?と思わされる。

ふたつ

シンメトリーなテキストの中に必然性と偶像性の対比がうたわれる。偶然ではなく偶像性なのはどうしてだろう?

みっつ

「ただの板を持った私をあなたは眺め彼女は怒り」とある。主人公は私、あなた、彼女の三人だとわかる。(彼女)が偶像ではないかと仮説立てると、彼女を通して分断があるのだろうか?この詩の中では拒否感と無関心さかうたわれている。

よっつ

「私は彼女みたいには成れない」とくくられる。私と彼女には決定的な差があるようだ。
かように少しずつ主人公達の関係性が見えてくる。

いつつ

大胆に分離されたカリグラムが示されている。本作でのカリグラムは分断を示す表現であるように思われる。
「私とあなたの世界は〜虚像と成って」とある。

むっつ

私は澱んだ空気を脱する術を失っている。リズムが崩されるようなカリグラムは主人公の切れ切れたした感覚を思わせる。

全体を通して、彼女の正体はわからない。小説の人物だろうか?人形だろうか?アイドルだろうか?最初と最後にある通り、主人公は彼女に何かを預けている。何を預けているのだろう?これの推理が一つ読書の楽しみになりそうである。表題の「虚像」は(私とあなたの世界)(いつつより)とされている。では彼女は何者だろう?

どこか不気味な三角関係だが致命的には破綻せず、何かを預けたままである。田村さんの分断には第三者がいるのかも知れない。

表面的な読みではあるが、初読を生かして書き残そうと思う。

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