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4月から大学生

 4月から大学生になります。仕事をしながら自分に足りていない素養や知識について見つめ直そうと思います。

 新型コロナウィルスの蔓延により社会環境が変わり、緊張感が変わりました。生活の様式が変わり、経済活動が変わり、娯楽が変わりまりた。私はコロナ前から世界の終わりに対する恐怖感を抱いていました。それは漠然とした不安感です。夢の中で、或る日世界が終わっていて、その終焉までを寂しく生きる夢をよく見ました。ですから新型コロナウィルスの流行は大きなショックでした。そして、今ウクライナで起こっている戦争もショックです。私は漠然とした不安感を抱いていたのに、結局は何も出来ませんでした。故に、私は今までの価値観で生きる事が難しいと感じる様になりました。

 思えば、理解し切れていない、分からないと知っている物事が、私にはあります。意識や自由や記憶について、理解していないと知っていて、それに対する様々な知見が先行してあるにもかかわらず、歩みを止めていました。そして、芸術的な限界を感じても、何となく作る事を続けていました。

 ですが、近年はインターネットの発達により安価で手軽な方法で学べると知りました。ズームで繋がったり、スペースで沢山の人と音声で繋がったりして新しい可能性について知る機会が増えました。私は自分が無知であったと思い知る様になりました。
 また年齢差がある人から多くを学ぶ事があります。今までのセオリーやノウハウは書き換えられて行くのではないか?私はそう感じました。

 其処で学校で学ぶと云う事を考え直しました。私は考えなければなりません。今までのやり方では難しいのです。ただ、教わると云う事にも限界があります。誰かと共に考えねばならないのです。

 其処で今までどうやって学んで来たのか考えました。

 学び直すけれど上手く行くとは限りません。

私は、私が芸術的に終わっていると知っています。芸術学科に進む事は、それを前提としています。だからといって趣味と云う訳でもありません。何時迄も夢を追いかけて良いと云う訳ではないが、芸術の分野でしか見出せないものがあるのです。

 私は人文学的なアプローチからコロナについて考えなければなりません。生活の基盤を文化的に悩まなければならなかったのです。

 そして、一緒に考える友人が欲しかったのでしょう。芸術という自由さを獲得する術を再構築するために…

 同じ分野にいて同じ方向を向いている人と知り合いたかったのです。人との距離が出来ても、コミュニケーションが取れる環境に可能性を感じたいのです。

 四月が終了しようとしています。レポート提出作業はハードで三科目しか出せませんでした。文章を書く勘が衰えていて、切れが感じられませんでした。時間が制限されている作業はシビアですね。
 一ヶ月間で何人かSNS上でも同じ学科の知り合いが出来ました。でも交流というものはまだです。
 勉強は孤独な作業です。
 ひらめきと濁流に飲まれるような勢い、それが再び現れてほしいと願っています。

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