見出し画像

EOからの手紙15・EOの注釈

「EOからの手紙」には3通の手紙を収録していた。
共に1994年1月のものである。

その3通目の「即佛録」には「EOの注釈」が付属していたのだが、省略してしまっていたので、ここに掲載する。(幽雪)

**********************************

EOの注釈

工夫には、ふたつの方法がある。
ひとつは、もしもあなたの中に、これでいいのかという疑問、駄目だという心が起きたら、ひと呼吸によって断ち切るのではなく、その疑問を心の中で言葉にして唱えなさい。『これでいいのか??・・これでいいのか??』と静かに間を置いて、質問、疑問そのものを自分の中で反復し、その質問を自分で言って、自分の心の中で聞いてみなさい。決して、答えを探してはならないし、考えるのではない。あなたの質問や疑問、自分は駄目だ、工夫がたりない、自分は悟っていない、たるんでいる、などなど、とにかく、問題意識があったら、端的に、率直にその事を念仏のように、自分で自分のその様子を唱えなさい。
ただし、いろいろな事をそこで言ってはならない。言うのは、ただひとつだけだ。
たとえば、どうしても、疑問が出たら、師に問う前に、
まず、あなたが座禅して、静かに脳天に留意したまま
その問いを静かに、何度か繰り返してみなさい。
覚えておくことだ。
『なぜ』『どうして』『いかにして』『是非』を問うのが悪いのではない。
答えを見付けようとするのが悪いのだ。
問いなさい。おおいに問うのだ。
ただし、脳天に留意したままで、静かにはっきりと疑問を心の中で言葉にして
その自分の疑問を自分の心の耳で味わってただ聞いてみなさい。
これが、ひとつめの方法だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もうひとつの方法は、誰かからの『外部的な問い』があるとき、
『さぁー・・』と言いなさい。とぼけるもよし、ほんとうに分からないのもよし、
とにかく、わざとであれ、本心からであれ、無条件に『さぁー』と言いなさい。
始めは、わざと言っていても、そのうち『さぁー』という無回答は、あなたそのものに染み込んで行く。それはあなたの一部になる。やがて、それは、あなたの全部になる。最初は、とぼけでもいい。ただし、徹底的にとぼけなさい。
やがて、とぼけているのではなく、あらゆる疑問に対して
『さぁー』というのが、あなたの『実相そのもの』であった事に気がつくだろう。
『さぁー・・』は質問や疑問<そのままで>完結する。
だからこそ、それはあらゆる質問に対して、ただ唯一の『実存的な回答』なのだ。

だが、
あなたたちは言うだろう
「疑問がそのまま、見詰めて消えたのでは、
それじゃ、なんの解決にもならないじゃないですか?」と。

EO『そうだ。
解決すべき疑問が、そもそもないところへ戻るのが道のすべてだ。
解決への衝動からでもなく、疑問もないところからの、只の行為こそが
老子の言う無為自然、親鸞の言う自然法爾だ。』

1994  1/28  無名庵


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?