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無明庵への手紙

これは、2002年に無明庵へ出したメールである。
何か反応があったようには記憶していない。(幽雪)

前略
たまたまそちらのサイトを拝見しましたところ
「26. ほうざんの落語集 」(注;リンク切れになっているようだ)
「27. 公開禅問答合戦
が目にとまりました。
触発されるものがあり、お手紙書いてみたくなりました。
先ず、私の回答を記してみます。どちらの公案も同じ答えになります。
(1)
老師「いいか。これはわしのもっとも大切な教えだ。
よく聞くがいい。お前たちは今日かぎり、
残らず、すべての経典/グルを捨てなさい」
三人目の僧侶は、
黙って出て行くと、只、草取りをした。
(2)
老師は言った
「なんだ、そんな事にも答えられないようじゃ、
お前の悟りは、とんだ野狐の偽物だな」
すると、弟子はこう言った。
弟子「・・・」(無言)
そして、黙って、只、お茶を飲んだ。
出題意図に沿っていないと言われるかも知れないので、注釈をつけます。
(1)
「3人目の弟子だけが、悟りへの可能性を認められ、師のもとに残ることを許されたのである。」という補足条件を考慮に入れると、3人目だけが、まともな修行をしていたということになります。
他の二人は老師の言葉に直ぐに取り付いて、頭で考えを巡らしてしまいました。修行以前です。
3人目だけが言葉の意味を詮索することなく、即座に言われた通りに「すべてを捨てた」ところへ向かいました。それは悟りではありませんが、悟りへの可能性がある道です。
只、在るということです。
修行においては、経典もグルも捨てる余地は無く、初めから入り込みようがありません。呼吸するのに経典もグルも必要ありません。他人が食べても自分の腹は膨らみません。
だから、本当に修行している人は、その時、既にすべてを捨てています。
そのことだけが在るということです。
(2)
先ず、「茶碗の湯の中へ入れ」という老師の問いですが、
「入る」という言葉に引っ掛かると、色々な考えが起こって来ます。
もし、このように老師から問いかけられたとしたら、それは
「そのものと一つになりなさい」
「隔てを無くしなさい」
「自己を忘じなさい」
という意味のはずです。
あるいはそういう問いによって、どの程度、言葉に取り付き、考えを巡らしてしまうか、どの程度、即今底に在るか、ということを老師は見ているはずです。
この弟子は「つい最近悟りを開いたばかりだった」のですから、この老師の問いによって即座に自己を忘じてしまったのでしょう。茶の中に入ってしまったのです。
そして、老師の追い討ちの問いによって、呼び覚まされました。
おそらく老師の言われた言葉の内容は聞き取ってはいなかったでしょう。
音が通り過ぎただけです。
只、音が聞こえて呼び戻されたのです。
そこで、静かにお茶を味わい、お茶と一つになったのです。
もう老師は何も言うことはありません。逆に何を言っても構いません。誉めても貶しても、この弟子には意味をなさないし、言う方がバカを見るだけです。この問答の場合は
「「ちぇっ」と舌を鳴らして、部屋を出ていってしまった。」というだけです。
それはこの弟子の悟りを改めて証明したことになるのでしょう。
次に、梅干の話。
こんな風に日常の場で問いをしかける老師がいる道場なんて一体いくつあるだろうか。
最近の「発心寺寺報」に載っていた話ですが、雪渓老師が外出から帰られた時、山門に出迎えに出た僧に対して老師が
「まだ生きていたか? 明日も生きていると思うなよ!」
と言われたことがあるそうだ。
面白いエピソードだなと思った。雪渓老師が出会い頭にそんな働きかけをされた話なんて聞いたことがありませんでした。
その発心寺でも、この梅干の話はあり得ないでしょう。老師と雲水の距離が開き過ぎているのです。
臨済宗にも、まずありますまい。
臨済宗の修行の様子は実際には何も見聞したことがないので正確なことは言えませんが、臨済宗の友人・知人の話を聞くと、公案禅とは言い難いようです。それはダンテスも言っていたようですが、今の臨済宗は丹田禅と称されるべきかも知れません。
「禅問答というものを、固定的な思考を前後断裁するためのショックとしか考えていない」と言うけれど、修行者にそういうショックを与え続けることのできる老師はすごいと思います。
そういう老師は「なんでもかんでも、「これはこれ、それはそれ、あれはあれ、これこのまま」で通す」ことはないでしょう。同じ言動でもその深さには天地の開きがあり得ます。それを老師は見抜きます。
そのような老師にして初めて
「ただ、無心に、
その意味に解釈を与えることなく、
ただ、聞くことが出来るようになるまで、
彼らを導いたのである。」
ということが可能になるのです。
もう一つ。
趙州の「放下著」の話がありましたね。その最後は、
趙州曰く
「捨てるものが何もないというものを、捨て去れ」
となっていましたが、記憶違いですね。
確か、趙州はそれとは反対のことを言いました。
「それならば担いでいなさい」
という意味のことを言われたのだと記憶しています。
こちらの方がより実践的で厳しい教えですね。
それと同じように、最初の二つの公案の回答に対して
「そんなに只やりたいなら、只やってろよ」
と言われそうですね。
「只」ほど怖いものはありません。
悟っても、悟っていなくても、只やることには変わりがありません。
だから、二つの公案の回答が同じになります。
「只管の万里一条鉄」などと言いますが、そうなるとこのレールから外れることが出来なくなります。
迷わず、そのまま突き進んで行けば、必ず悟りにぶち当たることになっています。
実は、ここに大きな問題があるようです。
悟っても、悟っていなくても、やることは同じだとすると、悟っていない者が、悟った者と同じことをしなければいけないことになります。悟ったような顔をしていなければ修行者ではないと言われかねない気がしてしまいます。自分の問題、自分の苦しみというものが、もみ消されてしまいます。
疑団や苦をあぶり出し、増幅するのではなく、それを棚上げにしてしまって、今に帰るのが修行ということになってしまいます。
これが、私が一歩も進むことが出来なくなっている原因のように思います。
公案と即念。哲学と瞑想。火と水。
これらは車の両輪としてどちらも必要であり、その微妙なバランスが大切なのではないでしょうか。
かつてEOが私を末期に追い込んでくれたような公案の助けが必要なのかも知れないと感じています。それは人から与えてもらうようなものではありませんが、今回ネット上で展開された問答を見て、素晴らしい試みだなと思いました。私なりに回答を考えてみて、自分の修行の癖というようなものが見えたようです。
そして、自分の行き詰まっている状況、その理由も少しはっきりして来たようです。
今の突破口が見つかるかも知れない。
そんな気がして、手紙を書いてみたくなりました。

2002年5月28日
                             幽雪

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