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EOからの手紙11・死臭の刺繍の詩集

初舞台

その演奏家は私にこう言った
「私は、毎回が初演という心得で舞台に立つのです。」
私はこう言った
『私は、毎回それが最後の舞台で、明日は火葬場のつもりでここに立つ』

毎回が初舞台ならば、彼には、さぞかし緊張もあろう。
毎回が最終公演の私には、どんな緊張もない。

生の舞台に立とうとするなら、彼のようであっても、よかろう。
だが、死の舞台には、緊張は似合わない。

私が臨終の舞台に立つとき、
私以外のあらゆるものが生き生きとする。
私はそれを見るのがこの上もなく好きなのだ。
私が死ぬと、なにもかもが生きてくる。私の屍すらも。

初対面

初対面の時、いつでも人は私を見忘れる。
私の目前の人間に私は言う。
私『本日、あなたは私と初対面ですね』
少女「はい」
私『でも、もうひとり私と初対面のものが、ここにきておりますので
紹介させていただきますね』
少女は、我々しかいない、閉店間際の喫茶店をぐるりと見回した。
『ここだよ。娘さん』

伝統

ある僧侶が私に言った
「そんなことをしていては、いかん」

人類は、この言葉をもう五千年間も言ってきたというのに。
この伝統的で愚かなる挨拶の元に
かつて、どれほどの命が失われたであろう。

死体

本屋さんで、人間の死体の写真集を見た。
みれば見るほど
死体はひとつの物体だった。
死体は形だった。
死体は色だった。
死体は静かだった。
死体は、物だった。
その物が、
いま、私の周りに無数にいる。

ふと、ある、思想家の詩を思い出した。
『人は、中途半端な死体としてこの世に生まれ出て来る。
そして、その一生をかけて、完全な死体となる。』

日だまり

私と仲の良かった酒屋の猫が今年の冬を越せずに死んだらしい。
ここのところずーっと、目にしない。
もう年よりなので、やはり死んでしまったようだ。
いつもそいつは、日だまりに座っていた。
一緒に座りたかったけど、そいつの邪魔をしたくないので
私はそいつの座禅姿にいつも会釈をしていた。
もう、そいつの姿は見られないな。
今年の冬は越えられなかったそいつ。

そいつが、来年の春にひょっこり現れたら
この私は一体どんな顔をするのだろう?。

たぶん、こんな顔だろう。

言葉

世の中には、二度と言わねばいい言葉がありすぎる。
悟り、迷い、いい、わるい、
生きる、死ぬ、楽しい、つらい。
世の中には二度と言わなければ、
みんながもっと幸福になれる言葉が多すぎる。
だから、二度と言わねばいいのに。
悟り、迷い、いい、わるい、
生きる、死ぬ、楽しい、つらい。

ゆうべ、砂漠の寺院で一人の老いた病の聖者の看護をしている夢を見た。
わたしが彼のそばで見守っていると、
突然に、盗賊か、あるいは対立する異教徒の男がやってきた。
私は長老を抱き抱えた。
男は後ろから私の腹を刺した。
とても切れ味のいい剣だ。
痛みもなくするりと腹を突き抜かれ、
息が詰まって、私は目が覚めた。
いまさら守るようなもののない私が
夢の中で守ろうとしたものは、
一体なんだったのだろう?。

疑問

人々は言う
これでいいのだろうか?。
どうすればいいのだろうか?
なぜ、どうしてだろうか?
どうなるのだろうか?

それが止まると
そこにいつも沈黙がある。

また、人々は言う。
これでいいのだろうか?
どうすればいいのだろうか?
なぜ、どうしてだろうか?
どうなるのだろうか?

それを言う前には
いつも沈黙があった。

我々は答えを知っているんじゃない。
ただ、疑問を知らないだけなのだ。
絶対無は、そんなときだけ、問いと答えで戯れる。
チェスや将棋の駒の色に
先手の順はあるけれど、
その色で勝敗が決まっているわけでもあるまい。

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