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自分が見えているかー別の角度で自分を見る

自分が見えているかー別の角度で自分を見る

最近大切だと思うことに、「自分が見えていること」というのが加わりました。

人は多くは、また普通は自分が見えないもので、私もまたそういう面はありますから、難しい課題がやって来た、という思いはあります。

ただ、私の視界に入ってくる人を眺める限り、美しい人は常に自分を見ているように思えます。
対象と自分とを鏡のように扱っているというか。

人のふり見て…あるいは善い手本を見て…わがふり直せ…、
直せというよりも「わがふり造れ」なのかもしれない。

そういうことが、生活のレベルに落とし込めているのではないか、
と思います。

あるいは、「自分というあり方」「スタイル」を形にし、実行できている、と言えるでしょうか。

「自分がどういう存在であるか」を見失ってる

「自分がどういう存在であるか」を見失うと、昨今のトイレットペーパー買い占めのような…「自分さえよければいいのか」と周囲から見られるような身勝手な言動になってしまうのかなと思います。

「自分がどういう存在であるか」をキープするには、「自分が見えている」という意識をそれ以前に抱くはずです。

ある意味、自意識が強いということにもなるのでしょうが、健全な程度なら自意識を持つことは大切です。

自意識が、自分自身を「善き存在でいさせよう」とさせるからです。
この段階では、「自分を見る」「自分を知る」ということが必要です。

「自分が幸せならそれでいい」と思いながら、あることをすると、

いい演者は、自分を客観視できるそうです。
演者というと演劇っぽいけれど、日常的なところに持ってきても私たちは皆何かの表現者と言えないでしょうか。

自分が幸せならそれでいい。それは普通である気がします。

自分の感情を大事にしていると、どんどん自分の感情の満足度にフォーカスしていきます。
そういう状態だと、ある程度周りのことがどうでもよくなっていく。そういう段階というか、ステップはあると思う。

自分を客観視している時は自分を見ているようで見ていない、という状態かと思います。

景色の中の自分、という見方をする時、自分に注目はしていないのです。

自分を大切にする。そして、そこへ行ったらその場所からドアを開いて外へ出て、振り返るようなイメージでしょうか。

自分をどんな風に居させたいか

普通は自分に注目していて、自分の安心や自分の満足が大切。

東京という景色、日本という景色、世界という景色、…
と視点を広げていったとき、自分にどう居させたいか。

そういうことを想像していくと、別の角度で自分を見ることができるのではないかと思うのです。

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