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坂元がなぜ教育に興味を持ったのか2

昨日は自分の学生時代の振り返りになってしまったね。
結構学生時代を振り返るの難しかったなーー
忘れていたこともあるし、逆にとても印象に残っていたこともあって、あの時結構いやだったことに蓋をしていたこともあって、書いてよかったと思った。

やはり教育にとても興味を持ったのはネパールでの経験が大きいかなって思う。大学時代の専攻が教育だったからっていうのもあるけど、やはり現場での経験が大きすぎる。

大学四年時に休学をして、坂元はネパールへ1年間
学校の先生をさせていただいた。

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このような場所だった。電気もガスも水道もない場所だ!
毎朝薪を割ってひを起こすのが俺の仕事。身体が大きくなったのはネパールのおかげ。

そんなネパールはコロナの前の話だが、約1500人が1日に海外へ出稼ぎに出かける。場所は中東やマレーシアだ。そして4人の遺体が毎日帰ってくる。
以下の記事の言葉が現実だ。

カタールでは、現在140万人の出稼ぎ労働者が働いているとされている。 ネパール、インド、バングラデシュ、パキスタン、スリランカ、タイなど、アジア諸国出身者が大半である。中でもネパール人とインド人が多く、死者も多い。今年7月までの5年間で、672名のネパール人が死亡したという。

悔しすぎる。 とても悔しい
実際に自分がいた村の子供のお父さんも遺体で帰ってきた。

ネパールでは公立の学校は値段が安い代わりにとても教育環境が悪く、英語の以外の授業は全てネパール語で行われる。
そして、私立の学校は学費は高いが、教育環境がよく、ネパール語の授業以外は、英語で行われる。

私立の学生は小学校3年生くらいには英語でコミュニケーションが取れるほどだ。

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そして公立の学校へ行った子たちはネパール国内で仕事を見つけるのはとても難しい。ネパール語しか話せない人材にはできる仕事が限られてくるからだ。だからみんな海外へ出稼ぎにいく。

そして、私立の学校の子供は海外へは留学へ行く子が多い。家がそこまでお金がなくても奨学金などの選択肢があり、アメリカやイギリス、ニュージーランド、オーストラリアに行く人が多い。そしてそのまま海外で出稼ぎをして母国へは帰らない人も多い。お金もきちんと稼げるからだ。
日本にきているネパール人も大体が私立の出身で、ある程度のお金がある人たちだ。

ここにはとても大きな差があり、それは語学の可能性と教育の質が大きく関わっている。

出稼ぎに行っている大人の人生を変えることは正直難しい
でもその子どもたちの未来は大きく変えることができるかもしれない。
写真であるような心からの笑顔を失わずにすむかもしれない。
その可能性があるのが教育だ!!

そこに多くの魅力を感じた。

それと、この本の内容だ。ぜひみんなに読んでもらいたいのだが、
テクノロジーは貧困を救わないのかどうかを仮説検証をネパールでした。

寿さん

ネパールには多くの支援物資が届く。だかそのほとんどはしっかりと使われてはいない。
特に一番顕著に出てくるのが、パソコンをはじめとするテクノロジーだ。

俺が現地に行った時には10台くらいのパソコンがあった。
そして自分はさらに10台のパソコンを持っていくように言われたので、持って行った。
パソコンが学校に届いて、まずしなくてはいけないことは
生徒に教える先生たちにパソコンの使い方を教えることだ。
学校の先生は放課後に残って自分の時間を割いて、パソコンを習った。でも給料は変わらない。そして、先生にパソコンを教える先生を首都から呼ばないといけなかった。そこにもお金がかかっている。

そしていざ授業を始めようと準備をし、始めたらアクシデントが起こる
電気のない田舎の学校では、充電がなくなったらパソコンの充電ができなくなり、使えないパソコンが出てくる。そして、ちょっとでもパソコンに不具合がでると授業が止まり、紙媒体で進めた方が楽なのではってなる時がある。
そして、さらに子どもたちは。これまでやんちゃで、遊びのが好きな生徒はパソコンがきたらまず遊ぶ、ゲームを探す。
そしてこれまで真面目に勉強をしてきた子たちはパソコンがきたら勉強をしていた。実際に成績が上がった子もいれば、パソコンによって成績が下がった子もいる。

テクノロジーはとても素晴らしいのだから、順番が逆になってしまっていはいけない。これはテクノロジーだけではなくて、支援物資も同じだ。
まず教育をしないといけないのは、心の方だ。マインドだ。
それからテクノロジーやものが入ってこないといけない。
なぜか今はテクノロジーが解決してくれると思われていて、確かにその効果があるところはあるけど、本当にそれを必要としているのか、
なぜそれが必要なのか、それを与えた後のフォローがあるのか。
しっかりとした計画のもと、送られてくるものはとても少なかった。
つまりは、支援物資は貧困の地域の学校を救えない訳ではないくて、救わないのだ。
ものは根本的な解決にはならない。それを使う人間をどういうふうなマインドにするのかが一番大切だ。

こういう風に思えたのもネパールがあってからだと思う。
明日にまた教育に関してのことを書きたい。

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