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末法を正法に回し

私は今年の6月から、長福寺と言うお寺の副住職(仮)を任せられることになりまして、現在は境内の作務やご法事に精を出す毎日が続いております💦

そんな中で毎朝『朝課』(朝のお経)を行っているのですが、個人的に印象的なお唱え言があります。
それは、タイトルにもなっている『末法を正法に回し』(まっぽうしょうぼうかえし)という一文です。

末法(まっぽう)というのは、仏教の正しい教えを伝える人も、修行をする人もいなくなってしまった状態のことです。

末法の時代はお釈迦様が亡くなられてから1000年後の世界であり、日本では鎌倉時代頃から始まっているとされています。

現在が2024年なので、末法の時代は1000年近く続いている事になります🙃

次に、この末法と対をなす考え方として正法(しょうぼう)という概念があります。
正法とは、その名の通りお釈迦様の教えが正しく保たれ、伝えられ、正しい修行が行われている時代のことです✨

正法の時代というのは諸説ありますが、お釈迦様が亡くなられて500年〜1000年後であるといわれています🤔

さて、話を元に戻すと『末法を正法に回し』という一文には、末法の時代にあっても正法を忘れる事なく、お釈迦様の正しい教えを学び、それを人々に伝え、正しい修行をする事によって、末法の世の中から正法の世の中に戻していきましょう。とお願いをする意味が込められています🙏

更にそれは、現代に生きる私たち僧侶が一番に考えなくてはならない問題ではないでしょうか?

曹洞宗では「末法を正法に回す」為には、お釈迦さまと同じ行いをすることが重要であるとし、曹洞宗の教えを中国から日本に伝えられた道元禅師は、自身の著作である『正法眼蔵』の中でこのように示されています。

我等が行持に依りて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり、然あれば即ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。『正法眼蔵』「行持」上巻

【私訳】
私たちが仏と同じ行いをすれば、それは一人の仏がこの世に現れたことになる。
歴代の仏たちが生きた証しが、自分を通して現代に現れるのである。
仏と同じ1日を過ごせば、それは仏の種を蒔く1日となる。
仏と同じ生き方をすれば、その時、人は仏になっている。

道元禅師は、私たちが仏(お釈迦さま)と同じ生き方や生活、行動をすることによって自分が仏(お釈迦さま)になれるといっているわけです!✨

現代が末法の時代であっても、一人一人が生活の中で「お釈迦さまのような生き方」を心がけ、自分自身に仏の種を蒔く生活を行なっていくことで、結果的に正法に回すことが出来るのではないでしょうか。

私も、煩わしい境内の草刈りや掃除を修行と思い励んでいきたいと思います。🙏


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