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自転車での世界一周は「冒険」なのか

自転車で世界一周中!ゆーせいです。

最近、冒険や旅行という言葉について考えています。
きっかけらしいきっかけがあったわけではありませんが、自転車で長期間旅行していると出会った人たちとの会話の中でこの二つの言葉はよく聞きます。そして、その会話の中で少し面白いことに気がつきました。通常、この二つの言葉の境界は曖昧で「危険度」や「労力」「未開度」などの尺度でグラデーションがあります。そして、グラデーションの中でどこからが冒険でどこからが旅行なのかの線引きは、人によっておーーーきく変動することに気がつきました。

例えば、私は自転車で海外を放浪して2年半が過ぎました。私にとって自転車で海外の道を走ることは冒険ではありません。明確に旅行です。そして、そんな私にとって、大半の人の外出行為は冒険ではなく、旅行や散歩、旅の範疇に収まるものです。おそらくこれは世間の感覚とはずれています。私の場合は世間よりも二つの言葉の線引きが少し(だいぶ?)冒険側に寄っているんだと思います。つまり、人によっては私が自転車で北米大陸や南米大陸を縦断しているというと大冒険に聞こえるかもしれません。あるいは、人によっては女性が南米大陸を1人で放浪することは冒険だと感じることでしょう。さらに言えば、日本のお隣の国韓国へ初めての海外旅行ですら世間的には旅行でも、本人にとっては冒険かもしれません。このように、人によって冒険と旅行の言葉の使われ方はさまざまです。

勘の鋭い方はすでにお気づきかもしれませんが、この線引き、同じ個人の中でも自分の置かれている状況によって、変動します。

自分の外出に例えると、幼稚園の時、初めて1人で電車に乗って隣の県のおばあちゃんの家に遊びに行ったこと。私にとって、それは確かに冒険でした。中学生の時、1人自転車にまたがり東京湾を二泊三日でぐるっと一周したのも私にとっては冒険でした。翻って現在、青春18切符で東京から高知に行くのも、アメリカのアムトラック列車でフィラデルフィアからマイアミまでアメリカ縦断するのも、自転車で日本一周するのも私にとって冒険ではなくなりました。逆にバックパックを背負ってキューバを回った慣れないバックパッカースタイルの遠出は私にとってちょうど冒険と旅行の間くらいの経験でした。

さて、ここまで冒険と旅行という言葉について、同じ行為に対しても人によって当てはめる言葉が異なり、さらには同じ個人の中であっても時と場合によって二つの当てはめ方は変化しうるものだと説明しました。これを踏まえて、今後人とコミュニケーションを取ったり発信活動をする上で二つのことを注意したいと思います。

①他人にとっての冒険を否定しない
先ほど説明したように、少しばかり特異な旅行を続ける私にとって、多くの旅行者の行為は冒険ではなく旅行に見えます。しかし、彼らが彼らの行為を冒険と表現した時、それを否定するのはナンセンスです。ナンセンスどころかマウンティングに取られてしまうこともあるでしょう。自分の冒険と旅行の線引きを他者に押し付けるのは今後やめようと思います。また、人が自分の旅行を冒険と表現したときは、一々否定するのではなく、会話の流れや親密度によって適当に受け流そうと思います笑。もちろん、否定する方が話が盛り上がったり、正しいと思う時は自分なりの旅行感を説明します。

②自分の旅行を冒険だと過度に誇張しない
前述のように、冒険は旅行に比べて「危険度」「労力」「未開度」などが高い時に使います。その分、他人の興味を惹きやすいように思います。YouTubeで動画を発信する身としては、どうしても自己ブランディングや視聴回数を増やすため「冒険」という言葉を使いたくなりますし、事実使ってしまうこともあります。しかし、他人にそう見えるからと言って安易にその言葉を使いすぎるのは自分に対して嘘をつき続けることに他なりません。自分に嘘をつき続けると、自分の軸がわからなくなってしまう気がするので、冒険という言葉を過度に使用するのは控えようと思います。

以上、誰も気にしていないであろう、冒険と旅行の言葉の差異について、それを踏まえての自分の対応、二つの点について考察してみました。最後までお読みいただきありがとうございました。もしご興味ある方は是非とも私のYouTubeチャンネル「ゆーちゃり日記」にて私の自転車世界一周「大冒険」譚をご覧ください!!!!!!


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