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裸のラリーズという神話からの脱却

裸のラリーズは かつて 神話であった。

裸のラリーズとは何者か?

移ろわぬもの 甘美なもの
移ろわずして 尚 甘美なもの
移ろいやすさの内に見る甘美さより一層厳密な何か
夜の領域 空間と次元 それから逸脱
結果としての逸脱 意図されなかった逸脱
あらかじめ意図された逸脱が成就された時
逸脱はあらかじめ予定された軌道に
最早ないであろう

MUSIC MAGAZINE 1991年11月号インタビューより

2ちゃんねるで言われているように、過大評価されているバンドという認識はさほど間違ってはいない。

それらは

  • 情報の少なさ

  • 正規盤3作品のプレミア化

  • IGNUITASやUNIVIVE、そしてD音源と言われたもののブートレッグの濫造

これら全てが、水谷自身の印象操作と思われても仕方のない状況が長期間続いたことで自然発生的に生み出された認識である。

2021年10月に公式ホームページが開設されるまでは、ubud氏が運営するTHE LAST ONEの情報が全てだった。

私も御多分に漏れず、このホームページを隅から隅まで読み漁り、裸のラリーズとは何かを知った。

そこで私の得た結論は、

  • 私が体験できなかったライブ

  • 1991年の正規盤3作品が全て

という結論だった。

故に、私はほとんどブートレッグを買って聴く、ということをしなかった。

ですがどうしても「'77 LIVE」をディスクで聴きたかった私は、当時まだ存在していた明大前のモダ~ンミュージックでブートレッグを購入した。

メールしても返事がなかったので、電話で直に当時ご健在だった生悦住さんとコンタクトを取り送ってもらった。

鬼籍に入られた方のことなので多くは語らないでおくが、晩年のモダ~ンはラリーズブートのメッカだったのじゃないかと推測する。

数年前に水谷孝氏に会ったという雑誌編集者に聞くと、その時の水谷氏は異様に痩せていてまるで幽霊のような存在だったという。
社会復帰の不可能な頭でっかちな不具者といった具合か。
死期も近いのかも知れない。
この話を聞いて以来、私はラリーズの音源を聴くと実社会に生きることの出来ない空想主義者の産み出した壮大な出鱈目の物語に聴こえてしまってかなりキツい。
誰かがこのでっち上げられた伝説に終止符を打たなければならないのではないか。

https://blog.goo.ne.jp/googoogoo2005_01/e/db73bcae71a16f63688c009f32f04e65

2012年のブログから引用したが、当時この記事を私も読み、全く同じことを思った。

膨れ上がった神話に終止符を打たなければならない

裸のラリーズを知る者、愛好して聴いている者なら皆同じことを思ったに違いない。

私も、TSUTAYAのレンタルに並び始めたのを見て、もうラリーズは終わったと思いました。

2021年10月21日。

突如として、その日はやってくる。

このウェブサイトは、「裸のラリーズ」に参加したミュージシャン、および関係者からの協力を得て、「The Last One Musique」によって開設されました。
我々「The Last One Musique」は、「裸のラリーズ」の音源に関する法的な権利を有した世界唯一のレーベルであり、これまで20年以上にわたって流布してきた海賊盤よりも鮮烈な音/的確なプロダクションによって、水谷孝の音楽を提供していく、という目的を持っています。
当サイトに掲載された作品以外で流通している「裸のラリーズ」関連のレコード、CD、DVDなどはすべて、水谷孝および「The Last One Musique」とは一切関係ありません。

Statementより

この公式声明により、長らく続いた神話は崩壊したのである。

翌年10月12日に、1991年のオリジナル盤発売より31年、ようやく正規盤3作品が正規再発されました。

時代は変わっても、こちら(ラリーズでもいい)は変わらない。
とどまり、進み続ける。
そして両者の間に壁があるとするならば、それも壊してやろうじゃないか。

MUSIC MAGAZINE 1991年11月号インタビューより

そろそろ、裸のラリーズとは何者か?について。

決して明けることのない夜

私はこう思う。

水谷が亡くなっても、ラリーズは進み続ける。

今度、渡仏から帰国した水谷が1993年に久々にCLUB CITTA’川崎で行ったライブ音源が発売されます。

ラリーズの夜は、まだ始まったばかりである。


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