裸のラリーズという神話からの脱却
裸のラリーズは かつて 神話であった。
裸のラリーズとは何者か?
2ちゃんねるで言われているように、過大評価されているバンドという認識はさほど間違ってはいない。
それらは
情報の少なさ
正規盤3作品のプレミア化
IGNUITASやUNIVIVE、そしてD音源と言われたもののブートレッグの濫造
これら全てが、水谷自身の印象操作と思われても仕方のない状況が長期間続いたことで自然発生的に生み出された認識である。
2021年10月に公式ホームページが開設されるまでは、ubud氏が運営するTHE LAST ONEの情報が全てだった。
私も御多分に漏れず、このホームページを隅から隅まで読み漁り、裸のラリーズとは何かを知った。
そこで私の得た結論は、
私が体験できなかったライブ
1991年の正規盤3作品が全て
という結論だった。
故に、私はほとんどブートレッグを買って聴く、ということをしなかった。
ですがどうしても「'77 LIVE」をディスクで聴きたかった私は、当時まだ存在していた明大前のモダ~ンミュージックでブートレッグを購入した。
メールしても返事がなかったので、電話で直に当時ご健在だった生悦住さんとコンタクトを取り送ってもらった。
鬼籍に入られた方のことなので多くは語らないでおくが、晩年のモダ~ンはラリーズブートのメッカだったのじゃないかと推測する。
2012年のブログから引用したが、当時この記事を私も読み、全く同じことを思った。
膨れ上がった神話に終止符を打たなければならない
裸のラリーズを知る者、愛好して聴いている者なら皆同じことを思ったに違いない。
私も、TSUTAYAのレンタルに並び始めたのを見て、もうラリーズは終わったと思いました。
2021年10月21日。
突如として、その日はやってくる。
この公式声明により、長らく続いた神話は崩壊したのである。
翌年10月12日に、1991年のオリジナル盤発売より31年、ようやく正規盤3作品が正規再発されました。
そろそろ、裸のラリーズとは何者か?について。
決して明けることのない夜
私はこう思う。
水谷が亡くなっても、ラリーズは進み続ける。
今度、渡仏から帰国した水谷が1993年に久々にCLUB CITTA’川崎で行ったライブ音源が発売されます。
ラリーズの夜は、まだ始まったばかりである。
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