見出し画像

アフリカ出発の日、新型コロナに感染

今日からnoteを定期的に書こうと思う。
どうしても文章を書くには、エネルギーがいるので嫌煙しがちだった。

しかし、第何波か忘れたけれど、波が来る度に僕みたいな現場仕事(イベントや調査、ツアーなどの仕事)が多かった人間としては、コロナ禍において仕事も凪のように落ち着き、そして今回コロナによって人生を掛けて飛び込もうとしていたプロジェクトが飛び込む寸前で、またコロナに感染してしまい頓挫してしまった。

日銭稼ぎをする芸人みたいな生き方をする人間にとって、今は本当に苦しい時期だ。更にwithコロナというけれど、リアルにコロナに感染すると別に一緒には居たくないと思った。

コロナに感染したときベッド上で、高熱でうなだれながら何に対してもやる気が起きなかったとき。

ふと、本を出版したかったことを思い出した。

実は、1カ月ほど前に元々出版社で編集をやられていた方に出会い、本を出版するための企画書を書いてもらおうという話になっていた。コロナ感染前は、編集者の方と企画を練っている段階だったが、先日、遂に舵取りをして、本づくりをスタートさせた。もちろん自費出版ではなく、商業出版で出したいと思っている。自分の科学では解明できない、波乱万丈の人生を自分自身の名前によって書く。

その為にも、noteに文章を書くことに決めた。

「旅、食、人、オンライン」
こういったコトにまつわることであれば書き続けられるだろう。

今回は、前述した「新型コロナ」に感染したことを赤裸々に書こうと思う。

アフリカ出発の日に、20,000円近く払って受けた鼻のPCR検査で「陽性反応」が出た。ニジェールという国に、ベーシックインカムで暮らせる新しい村を人生の恩人と作ろうと約束し、2年ぶりに数ヶ月帰国していた恩人と一緒にニジェールに行くという計画だった。

あと6時間後には、経由地であるパリに向けてのフライトが飛ぶという奇跡的なタイミング。

久々に担ぐ、50リットルのバックパック。やっぱりバックパックを背負うと、気持ちが高ぶっていた。硬いスーツケースなんかより、ずっと冒険感が増していた。

空港に向かう駅で「さて、PCR検査の連絡を来ないし「陰性」だったんだろう。そろそろ空港に向かおうかな」と、zoomでのオンラインミーティングを切り上げたとき、知らない電話番号から、電話が鳴った。

医師:「あの、もしもし○○クリニックの医師ですけども、奥さんの携帯でよろしかったでしょうか」。

僕:「あ、はい」。

医師:「30分程前に、連絡を入れているのですが。今回のPCR検査結果は、陽性でした。これから保健所に、登録する手続きをしますが体調など気になるところはありませんか?」。

僕:「え、そうなんですか。そうか、、、特にないんですよね、強いて言うならば少し咳は出ているかもしれません」。

医師:「そうですか、もしかすると咳の症状が強くなったり、熱が出ることが考えられるので、保健所の指示に従って行動するようにしてくださいね」。

僕:「はい、わかりました」。

医師:「お大事になさってくださいね」。

プチっと電話が切られた瞬間に、頭の中が真っ白になった。

「あれ、アフリカは。ニジェールは。」頭が真っ白な中に、黒文字で横からこの2つの文章がテロップみたいに流れた。

ただ性根はバックパッカーなので、次の手を打たねばと航空券のキャンセル手続きや宿のキャンセル手続き、連絡をくれていた人にコロナにかかって渡航できなかったことを伝えた。

キャンセルや伝えていく度に、自分が渡航できないという事実を頭で理解することができてきて、次第に、まぶたから涙がこぼれ落ちた。

挑戦を応援してくれた、たくさんの人をこんな形で裏切ってしまうことに、「申し訳ない」という気持ちと同時に、恥ずかさが襲ってきて、穴があったら入りたい気分だった。

駅の構内にある片隅で、僕は保健所の電話を待った。

1時間経っても、2時間経っても、電話は鳴らなかった。こちらから何度も電話をかけても、通話中となって全く繋がらない。

同じことを繰り返し、
3時間が経過してもダメだった。

スマホで情報を調べていると、「新型コロナの24時間相談ダイヤル」的なダイヤルが見つかった。3度かけてみると、3度目にようやく繋がった。

もう既に、22時だ。

A:「もしもし、コロナ相談ダイヤル?の○○です。今回はどうされましたでしょうか?」

僕:「あ、すいません。PCRで陽性になってしまって。保健所から連絡がなくて、更に保健所に繋がらないんですよ。ちょっと熱も出てきた感じがあって。」

A:「でも、一度保健所から連絡が来るので、そちらを待っていただくしかないですね」。

奥:「何十回とかけてて繋がらなくて、今は営業時間外と表記されているのに電話がかかってくることってあるのでしょうか?」

A:「そうですね。今、どちらにいらっしゃいますか?お外にいらっしゃれば、できれば自宅に帰れないでしょうか、もし難しいようでしたら宿泊施設に行って、明朝に保健所に連絡をかけ直してみてください」。

奥:「わかりました、ちょっと同居人にもいるので、一度、宿泊施設に宿泊することにします」。

そう言って、僕は電話を切った。

よくよく考えると宿泊施設に泊まっていいのか、と思った。そもそもで今、明らかに熱があるのに入館できるのか、もし誓約書があったら自分は宿泊できないのではないか、と頭をよぎった。が、とにかく横になって、休みたかった僕は、近くにあった一番安そうなビジネスホテルを選んで宿泊することにした。

入館したときに体温チェッカーがあったが「35.9度」だった。あれ、と思い。もう1度、計ってみたら「36.3度」。

これは、どこの施設でも機能しているのか謎である。

疲れ切っていた僕は「もういいや」と思って、レセプションで宿泊手続き、幸運だったのか無人での機械での手続きで宿泊手続きをした。そこには住所と名前、連絡先を記載するだけで、コロナに関しての誓約書はなかった。正直、感染が拡がっていくのも理解できた。

部屋に入ると、どっと疲れが襲ってきた。

そして、驚くほどの悪寒と関節の節々が痛くなり、明らかな熱が出た。「あぁなんだかしんどいな」と思っていると、咳がひどくなった。ここで、はじめて自分は、コロナに感染したことを実感した。とにかく、苦しかった。その日は、熱と咳で寝れなかった。

翌朝、保健所からの連絡はなかったので、こちらから電話をかけてみた。

今回は、1発で繋がった。コロナに感染したことを伝えて、宿泊しているホテルも伝えると「熱と心拍数」この2つを聞かれた。体温計も心拍を計る機会もなかたので「わかりません、40度ぐらいはある気がします、咳もちょっとではじめていますね」。と伝えた。

「そうですか、大変なときですね。。。療養宿泊施設を案内したいところではあるんですが、たくさん利用されている方がいらっしゃいまして今はご案内ができないんですよね。宿泊施設にいることも本来ダメなことなので、自宅に帰って自宅療養をしていただけますか」。と言われたのだった。

僕:「国の機関にある、相談ダイヤルに電話をして宿泊施設に宿泊するように伝えられて今ここにいます。そして、家に帰って療養するのは同居人が2名いるので極力避けたいです」。

保健所:「それでも宿泊施設はご案内できないんですよね。一度、チェックアウトしていただいて自宅に帰宅していただけますか、みなさん同居されている方もいらっしゃるんですよ。たくさん、年配の方もそうですよ」。

僕:「チェックアウトはしますけど、家には、今お伝えした通りで帰りたくないですよね。空き地見つけて、そこでゴザでも敷いて寝ましょうかね」。

子どもみたいな発言だと今になって思うのだけれど、当時は誰にも移したくないという気持ちが強くて、そんなアフリカ的な発言が出た。

電話を切ると、すぐに電話が鳴って「奥さん、宿泊施設の準備ができそうなので、そちらで療養するようにしましょう。ただ本日中は、無理なので、明日また電話をします。なので、コロナの感染者だということを伝えた上で、延泊をしてください」。

そんなこんなで、延泊をして、アフリカン駄々こねで療養宿泊施設に入ることになった。

この頃の症状が一番最悪で、熱、悪寒、関節痛、味覚障害、食欲不振、咳、下痢、痰、食欲低下、それらがMAXな状態だった。

思考は、停止していた。(もともと)

MKさん(京都で、さん付けで呼ばれるタクシー会社。)の特別車が来る。それに乗り込むと男性が既に2人、後ろの席に座っていた。これから地獄に行くかのような顔をしていた。ホテルに到着すると、ニュースで見るような光景が広がっていた。

受付で、熱と心拍数を計り(38.9度と95だったかな。)部屋のカードキーを渡されて、隔離となった。隔離されてからは、ご飯も時間になるとお弁当は出るし、症状を伝えると薬ももらえるし、快適だった。洗濯は手洗いなどは、療養中にはしんどかったけど。アフリカでは普通だし、浴室で洋服を洗いながら「なんか、すいません」という罪悪感すら出てくるほど有難かった。解熱剤の「カロナール」という薬は1錠では効かなくて、2錠飲んでいたのだけど、ゴルフ場のホールが体中に出来たのかと思うほど身体がスースーと風を感じた。そして、胃が荒れた。

1週間は、テレビを付けたり、携帯でyoutubeを見たり、入ってくる情報を流して見ることが精一杯で。

朝から晩まで、何もしなかった。

いつも慌ただしい僕にとって、こんな1週間を過ごしたのは、いつぶりだろうかと思った。8日もしてくると、だいぶ動けるようになって。メッセージを返していた。熱も37度代近くまで落ち、7日目で37.5度以下まで熱が下がっていたら3日後(計10日)で出所だったのだけど、結局11目で37.4度になったので、14日間で出所することができた。

久々に外に出ると、明らかに体力が落ちていることがわかった。体重計に乗ると6キロ近く体重が落ちていて。外の空気は、美味しかった。

コロナなんて本当にあるのかよ。
そう思っていた僕が、コロナに感染した。

コロナは本当に存在するし、かかると、感染中は上記の通り、めちゃくちゃしんどいし。治ったと言われてからも、メンタルが徹底的にやられる。以前よりも、なんだか心のアップダウンが激しくなったように思う。

とにかく、コロナにはかからないよう細心の注意を払うべきだ。

今も最前線で活動されている医療関係者すべての方を、今まで以上にリスペクトするようになった。感謝でしかない。

何も考えず、最もフレッシュなコロナのことを書いていたら4,300文字ぐらいになった。書くモチベーションがない、といいながら、めっちゃ書いた。笑

こんなことで本の出版はできるのか。
また新たな挑戦がはじまる予感がしている。

やっぱり波がある、安定しない人生でいたい。
そっちの方が「生きている」を実感できるから。

よくわからないけど、練習と思って、文章を書いていく。頑張る。

ここまで書いてみたら、喋る以外にも、実体験であれば書くことも好きかもしれないと思い始めている。なう(1時間で書いた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?