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村作り、諦めます。


負の資本主義的ヒエラルキーから脱却し、200村が力を合わせ、昔ながらのコミュニティを取り戻す手段として最後の賭けが、土地を買い戻しての村作りでした。それを、諦めます。

ニジェールで、自分が生き残るために他者を振り落とす、生き残りをかけた椅子取りゲームが始まりつつあります。 

三木さんは、13年間寄り添ったオマル氏とも離れ、今は聾唖者やフィシュチュラ、そして生活困窮者の人たちと変わらず愚直に活動を続けています。

僕も恩人である三木さんからの要望に応えて、誰よりも村作りを自分ごとにして取り組んできた自信があります。だからこそ、クラウドファンディングという形でみなさんから大切なお金をたくさんいただいた。それが出来ないとなってしまった。私も三木さんも、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当に悔しい。

村の中で裏切り、略奪、強奪、何度も注意しても次から次へと同じことが起こり、子どもたちが小さな犯罪から武器を手にしたり。この1年ちょっとの間で、最終的に裁判を6個もやったとのことでした。耐えて耐えて、もう無理だと判断したとのことです。

ニジェールで再会した三木さんの言葉です。

「村作りを諦めた、本当にごめんない。申し訳ない。そしてこころから感謝しています。僕にできることがあったらなんでもいってください。祐斉が一番社会的な信用を失うと思う。本当に申し訳ないことをした」。

僕が日本での写真展の報告をした時に、目を真っ赤にし、涙を溜めながら話されました。本当にこの1年間、しんどい思いをしてきたんだなと伝わりました。

今回のニジェールへの渡航前に、三木さんからメールをいくつかもらっていましたが、去年から精神的にもおかしくなる瞬間があったとのこと。大きな組織に入らず、小さく個人で作ったNGOで立ち向かうには問題が大きすぎました。

無謀な挑戦に賛同し、応援してくださっていた皆さん、本当に申し訳ございませんでした。
そして、心よりありがとうございます。

今できるアプローチとして、来年一つのプロジェクトを立ち上げることにしました。ニジェールにて三木夏樹さんを取材して映像におさめ、その後一緒に日本に帰り、「僕たちは村作りを諦めることにした」と題して、2人で全国の3か所〜5か所ぐらいを行脚することにしました。

そして、その過程を本にまとめたいと考えています。デザインは、bonaのロゴを作ってくださった吉田勝信さんに依頼しようと思っています。

行動した上で知ってしまった世界の一部で起こっている現実を伝えることは、僅かな希望のバトンを繋ぐためにも、僕に与えられたミッションだと感じています。

村に名前を刻む応援をしてくださった皆さんは、村に刻めない代わりに、本にお名前を入れさせてください。

もし、クラファンを支援してくださって契約不履行だという風に捉えられた方で返金が必要な場合はさせていただきます。

ご一報ください。
来年もう一度、ニジェールに来ます。

村作りという形では、今は諦めますが奇跡が起きてこの国に平穏な世の中が訪れた場合には改めて立ち向かいます。

なので、僕の中では無期限休止です。

次の企画に賛同してくださる人がいれば、コメントなり、連絡をください。一緒に企画しましょう。

僕は何があっても、どんなことがあっても三木夏樹さんの仲間でいたい、そう思っているのです。

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