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非日常を、日本の日常で。

東京でのイベント前に、南千住あたりの三谷地区にある簡易宿泊所に泊まった。

東の三谷、西の西成とされドヤ街と言われている。一緒にイベントを回る三木さんは、東京に来ることがあると、いつもこういうところに泊まっているらしい。 

どこかで経験したことがある感覚が芽生える。

宿泊費は、2,250円で生活保護を受けている人が50円負担すれば泊まれる金額に設定されている。

受付は、50歳前後のおじさんで吸いかけのタバコを缶コーヒーの空缶に潰し入れて、宿泊情報を「書けるところまでで結構ですから」と説明し、全て手書きの宿泊説明を見せて「5分〜10分説明させてください」と言って、昭和にタイムスリップした気持ちにさせてくれた。

個性が溢れる店内


お風呂は21時まで、門限は23時まで、スリッパは所定の場所に、靴は部屋に持って入るように、ダニが出る部屋があるのその場合はバルサンを差し上げる、などの説明があった。

となりの音がクリアに聞こえるほど壁は薄く、だけどやたらと新しい冷房があり、テレビやイヤホンが置いてあって、言葉を選ばずに言えばちょっとした独居房のような、そんな感覚を受ける部屋のつくり。

青椒肉絲600円


晩御飯を食べに、ふらふら歩いているとたどり着いた謎のカラオケ付き中国人お母さんが切り盛りする居酒屋でチューハイと青椒肉絲を頼む。背後では、ヤンチャをしていたんだろうな、という人や、80代ぐらいのおじいちゃんがマイクを持って歌と歌詞が全く合ってない状態で歌を歌い、カウンターの端っこでも、何語かわからない会話が繰り広げられている。

入店から帰るまで、情報量が多すぎて、だけどそこの空間を共有する全ての人が心の蓋全開で、そこの空間にいるだけで、どこかノスタルジックな気持ちになれて心が躍った。

宿の廊下

この感覚は、アフリカに行ったときに似ていて、日常から非日常に行くと、こうなるのだと思うが、そのぐらい普段の生活とは異なる世界がそこにはあって、いい意味で脳みそが溶けた。

朝起きると煎餅布団と畳のお陰で腰が痛かった。
そんな中、翌日は東京でのトークイベント。
それはそれで、泣いている人がいるほど、ものすごく有意義な時間だった。

会が終了して、その場に残っていた人たちで飲みに出かけ、終わってからは、翌日に朝から品川駅で三木さんと共に人と会う約束をしていたので、品川駅のビジネスホテルに泊まった。

人は溢れるが個性が見えない、品川駅。

レセプションではタバコのにおいもなく、全てデジタル化され事前に送った住所が写されたメモパッドにデジタルでサインするだけ。深々とお辞儀を下げ、「かつ荷物は送れますか?」「イベントで出たゴミは捨てられますか?」と質問すると、「もちろんです」と笑顔で、それを受け取ってくれた。東京での初日の出来事があったから、自分がその人たちの”上に立っている”ような感覚を受けている自分がいて、あまりにも大きな振り幅に笑ってしまった。

清潔感のある部屋、三谷とは違う意味で落ち着くが金額的にも設え的にも長居はできない。

“全ての人が取り残されない社会”にと指標を掲げて、三谷地区に滞在している生活保護受給者が目の前に現れたときに、今持っているものを取り残されている人たちに捧げることができるだろうか、意味がわからない出来事、不衛生なものを受け入れられ交われることが出来るのだろうか、かつて持っていたこの日本社会に対して違和感が芽生えた。

真ん中にいすぎると感覚が鈍るし、上にいると下にいきたくなくなるのではないかと思った。人は手にしたものをなかなか手放せなくなる、それはきっと、この振り幅が怖いのかもしれない。だけど、意外と下は楽しくて、もはや下なんてないのかもしれないと思う。

すべての人がみんなで決めたルールを守りながらやりたいことをやれる、生きたいように生きられる、そんな社会になって欲しいと青年海外協力隊を辞めた日以来に、強く思えた日になったので、今の気持ちを書き綴っておいた。

三谷地区のシンボルは、明日のジョー

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