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雨の日

僕は雨があんまり好きじゃない。

あんまりとはたぶんとは違うし、大体とも違う。今日食べたラーメンと同じだ。ラーメンはパスタにならなければ饂飩にもならない。

雨の湿気、雨音、雨の匂い、雨の冷たさ、染み込む水。雨を構成しているすべてがあまり好きじゃない。

もしくは現代の人間が住む場所での雨が好きじゃないのかもしれない。
もし仮に僕が森に棲んでいたり、2000年以上前の社会に住んでいたら雨が嫌いじゃないかもしれない。

現代にはアスファルトがあり、コンクリートがある。それから工場がある。それがきっと雨の悪いところを全てあらわにしている気がする。現に僕が嫌いな雨の音はアスファルトに跳ね返る音、匂いなども同じだ。どこかに人口的な物がある。雨の冷たさも染み込む水(染み込む水とは靴の中に侵入する水のことだ。)も人工の差響きがある。

人工というのはある意味で不自然なのだ。(つまり自然の中で生きていた人間の為すことであるのでまたある意味では自然なのかもしれない。僕にはそこら辺の区別が分からない)不自然であるというのは、違和感があるということだ。僕は違和感に気付いてしまうと気になってしまう。つまりこれが不快感の正体だろう。

正直に言うとこれまで言ったことは、こじつけみたいなものでまだまだ納得が出来ないところもある。普段ならわからないことがあればすぐGoogle先生に訊くが、雨が不快な理由については自分から調べようとは思わない。

もう少し自分で答えを出してみようと思った。

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