風景に溶ける
どこまで行っても、不在感があった。目の前の建物も、自宅と呼ばれた建物も、道路も何もかも、目の前の風景が自分の手の届かない所にあって、僕は「コンクリートジャングルに捕まった人間」になったみたいな感覚。
僕の知らないところで、何もかも進み、風景もまた変わっていく。あそこにあった本屋も、ドラッグストアに変わっているのに、僕らの生活は何も変わらない。利便性の裏に隠れた、不在感。
食べ物だってそうだ。スーパーに並ぶ食材たちは産地が記載されているのに、どこから来たのかは分からない。どんな畑で野菜が出来ているのかは分からない。
それでも、ここでは違う。彼らは、風景の一部になっていく。田園風景、山、食卓、それから地域。全てが誰かによって作られている。その誰かが僕には分かるし、”あの風景”は僕も作っていたんだなって思える。食卓にある野菜はあの人からもらったもの
きっと、僕らは風景に溶けて初めて生活を実感するのかもしれない。そういうものが幸福に変わっていくし、不変的な日々なんだよなと思うって一ヶ月フィールドワークをしてみて感じた事でした。
終わり(まだ数日あるけど)