伝えるのも、伝わるのも、ゆっくりがいい(2)
伝える手段はいろいろあるのになぜ「文章」が好きなのか?
その理由を探ってみようと思ったのですが、前回はたんなる回想(しかも営業をやりたくないという超ネガティブな話)で終わってしまいました。ごめんなさい。
今回こそ文章を書くのが好きな理由について考えてみたいと思います。
伝える手段で「理解のスピード」と「イメージの広がり」が変わる
伝える手段の中でもメジャーなのは「文章」「絵・写真」「映像」だと思います(厳密にいうと絵と写真は違うと思うのですが、文字でもなく動画でもないということでひとつにまとめてあります)。
そこでこの3つの伝える手段の特徴や違いを考えてみました。
文章
伝えたい人は書き、受け取る人は読みます。伝えたい人は自分のペースでじっくり考えて文章を書くことができ、受け取る人はわからないところは繰り返して読むなど自分のペースで読むことができます。
絵や写真のように見た瞬間にわかるものではないので、理解のスピードはゆっくりです。しかしそのぶんイメージを自分の好きなように、無限に広げていくことができます。
(わからなかったところをあとから読み返しやすいのも文章の利点ですよね。どうも映像だと「ここもう1回見たい!というところが探しづらいのです)
絵・写真
伝えたい人は絵を描いたり写真を撮ります。受け取る人はそれを見ます。文字を読んでも理解しづらい抽象的な概念は、絵(図解)にするとわかりやすいですね。そういう意味で理解のスピードは文章より早いといえそうです。
文字よりもパッと見のインパクトが強いため、絵や写真から連想したり思い出したりなどイメージの広がりは限定的になります。
映像
伝えたい人は話し、受け取る人はそれを見たり聞いたりします(無音や音楽だけの映像もありますがたいていは会話がありますよね)。絵と音、さらに文字情報を一緒に得ることができるので、理解のスピードは早いです。
一方で、流れてくるものをそのまま受け取るため、かなり強く意識をしないと考えたりイメージを広げたりするのは難しい気がします。
文章はむずかしくておもしろい
文章、絵、写真、映画。どれが良くて、どれが悪いという話ではないんです。ただわたしはやっぱり文章が好きだし、ぴったりな気がするんです。
理由は以下の3つ。
①伝えるスピードがゆっくり。あせって伝えて失敗してしまうリスクが少ない。
②伝わるスピードがゆっくり。考えを深めたり、イメージを広げるための時間と心の余裕がある。
③同じ文章でも人によって頭の中で描くイメージが違う。
わたしにとって特に重要なのが③です。
たとえば猫の写真を見れば「猫だな」「かわいい猫だ」と思います。これが文章で「小さな耳のついた動く毛糸玉のような動物」と書かれていたらどうでしょうか? 猫だと思う人もいれば、子犬だと思う人もいる。なにかのキャラクターを連想する人もいるかもしれません。
もうひとつ例を挙げてみます。小説が映画化されるたとき「イメージにぴったり!」なときと「なんかピンとこない」というときがあると思います。これは、小説を読んだときに自分のイメージをつくりあげていて、そのイメージと無意識で比較しているから感じることですよね。
こんな風に同じ文章でも、まったく違うイメージを持たせることができるんです。
だからこそ心を動かしたり、行動につなげるのがむずかしいのですけどね。だけどそれをうんうんと唸りながら考えるのが、わたしにとってはなによりの楽しみなんです。
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