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ガッキーとピーコとnoteと

昨日の投稿で「手書きが好き」みたいな話をしたので、この機会に2人の相棒を紹介しようと思う。


がっきー(らくがき帳)とピーコ(コピー用紙)だ。


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がっきーとピーコは性別も大きさもまったく違うが、ひとつだけ共通点がある。

2人とも、無地なのだ。



2人を好きになったきっかけはインタビューアーになったときだ。インタビューアーはできるだけ相手の目を見ながらあいづちをうったり質問をしつつメモもとらなくちゃならない。

そのメモ帳がひどかった。半分以上の文字が可読不能。ナナメになっていたり途中で途切れている文章もちらほら。ひどいときはいちばん上に書いた文章の続きがいちばん下にあったりする。

こうなるともう、線なんて意味がない。線があることで読みづらくなってる感すらある。

だったら無地でいいじゃん!


これが無地ノートを使うようになった経緯だ。


さらに記事の構成を考えるときには全体の要素をみる必要がある。インタビューの流れをそのまま伝えてもおもしろくならないからだ。そうなるとノートのようにページが順番になっているのもやりづらい。

だったらノートじゃなくていいじゃん!


こうして消去法をくりかえすなかで巡り会ったのが、ガッキーとピーコだった。


出会いはおよそポジティブとは言えないものだったが、これまでのどのノートよりも相性はいい。

せっかくの機会なので2人のいいところをここでいくつか挙げてみたいと思う。

・線にそって書かなくていい。どこに書いてもいい。
・上から順番に書かなくていい。頭のなかのシナプスとかもやもやとかをそのまま表現できるイメージ。
・あとから見たときに、思考の流れがわかりやすい。
・好きなように余白がつくれる。なんとなく思考や心に余裕ができるイメージ。
・矢印や図を書いてもサマになる。
・絵を描いてもサマになる。


つらつらと書いてみたが、一番の長所はなんといっても、

発想が広がりやすい

ことだ。


線や枠がないだけで? って思うかもしれない。わたしだっていまだに半信半疑だ。でも事実なのだからしょうがない。


たぶん…たぶんだけど、こういうことなんだと思う。


何も書かれていないガッキーやピーコを前にすると、最初はとまどってしまう。上から書くべきなのか、真ん中から書いてもいいのか。で、結局、上から書いていく。

しかし、2回、3回と書くうちにだんだんと変化がでてくる。余白に思いついたことをメモするようになり、単語や文章を矢印でつなげていく。そうすると図のようなものが自然とできあがる。

また、紙のうえには自分自身が書いた言葉しか存在ないため、言葉そのものや文章のつながりに注目するようにもなる。


つまり自然と「考える」環境ができあがる、というわけだ。


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(ピーコとわたし)


…と、ここまで考えて、ふと気づく。


あ、noteも無地だ。


シンプルな見た目で、記事を書くときにも枠や箱がほとんどない。サービス独自の絵文字もないし、余計な機能がない。

わたしがnoteを好きな理由って、きっとこれだったんだな。


向き合うたびに「考える」きっかけをくれる、どこまでも白い二次元の世界。アナログでもデジタルでも、好きなものはやっぱり変わらないらしい。

おもしろいことがなにも起こらなくたって、うまいオチが思いつかなくたって、やる気がなくたって。

ガッキーとなら、ピーコとなら、noteとなら、だいじょうぶ。きっとなにか生み出せる気がする。


これからもよろしくな、相棒。





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