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ルーツから探る「らしさ」

職場でも昔のサークル仲間でも、何かしらのコミュニティにいると、それぞれ「キャラ」的なものがあったりすると思う。
この人はこういう強みがあって・・・、あの人はああいう役割があって・・・、みたいな。

私ってみんなにどんな人だと認識されているんだろう・・・。これはいつからか漠然と感じていたことだった。周りの人のことは誰でもだいたい「らしさ」が思い当たるけど、私らしさが分からない。私には何の面白みもないし、ごく普通で誰の印象にも残っていないのではないか、というような深刻な悩みとまではいかない、もやもや。


2023年始まってすぐのこと、まだ正月ぼけが抜けておらず2日だけ働いて休日(3連休)に入り、定期的にくる「会社いやいや期」の重めの症状に悩んでいたとき、お母さんからLINEがきた。
「おじいちゃんが救急車で運ばれたみたい」
おじいちゃんはいわゆる田舎に住んでいて、関西にいる私や母が会いに行くには新幹線に乗って4時間ほどかかる。
1年弱前にも同じ連絡があり、ずっと元気だったおじいちゃんは脳梗塞になりリハビリを続けていた。13年ほど前、同じく脳梗塞になり今もデイケアに通っているおばあちゃんがいるので、デイケアの施設のルールもありコロナ禍になってからはずっと会えていなかった。(母の兄が一緒に住んでおり面倒を見ている。)

おじいちゃんはリハビリをして、字を書いたりなんとか歩けるようにはなっていたようだ。母はおじいちゃんおばちゃんに週1くらいペースで電話をしていたので、私も実家に帰ったときには電話で話していた。お正月も電話し、お年玉のお礼に私が書いたFAXも喜んでくれているようだった。

救急車で運ばれたと連絡があったのは夜遅くだったので私とお母さんは次の日、急遽おじいちゃんに会いに行った。その道中、もう容体は危篤な状況と母の兄から連絡があった。私はこの時がきてしまったのかと覚悟は決めた。特別な許可をもらい(5分だけの約束で)病院に入れてもらい、対面したときにはおじいちゃんはもうしゃべれる様子ではなく無数のチューブがつながれ息をするのに必死な感じだった。何か具体的な思い出が頭に浮かんでいたわけではないけれども涙が止まらなかった。初めての経験だった。看護婦さんの計らいか20分くらいは病室にいた気がする。
そしてその数時間後、おじいちゃんは亡くなった。県外からきた私と母はそばにいることはできなかったが、母の兄が看取った。身近な人を亡くすのは初めてだった。

12年近くおばあちゃんの介護をしてきたおじいちゃんが病を患って一年もしないうちに亡くなってしまった。なんとなく早く会いに行った方がいいという予感はあり1月末に私と母で会いに行く予定を立てホテル予約も済ませていた矢先に起こったことだった。最後に電話で話したのは4日前だった。

本当に大好きなおじいちゃんだった。でも不思議とそこまで後悔的なものはなかった。(母はあったかもしれないが・・・)
母の兄から聞いた話だが、最近はふらふらして歩くのが厳しくなっていたおじいちゃんがいつもに増して歩いて、家の奥の奥にある物置部屋に入ろうとしていたという。当然床にたくさんものが置いてあるので苦戦していたところを見つけた母の兄が何をしているのかと尋ねると私が正月に送ったイラスト付きのFAXをファイルにしまおうとしていたようだった。

そのファイルの置き場を教えてもらい中身を見ると私が幼い頃(文字という文字が書けないくらいの頃)から今までおじいちゃんに送った手紙・FAXなどがちょっとしたものからなにまでファイリングされていた。おじいちゃんがいろんなものを収集していたのは知っていたが、残されたものを見るとその几帳面さは異常なほどだった。(おじいちゃんが手書きした家系図やおじいちゃんが好きだったガーデニングについてまとめた膨大なノート・・など)
私が生まれる直前直後のことや、私が小学生の頃夏休みに毎日のようにどこかに連れて行ってもらった行き先まで書いてあった。

本当にこれでもかというほど可愛がってもらった記憶があるので、ありがとうの気持ちしかなかった。ちょっと欲を言えばあと数年後私の結婚式にいて欲しかったなぁというのはあるけれど・・・、これからも近くで見守ってくれていると思う。

おじいちゃん最後の執念だったのかなぁ。ファイルの置き場がそこにあることをだれかに知らせようとしてたのかなぁなんて母と話した。


ここで始めの話に戻るのだが、物置部屋を見ていると、VHSというらしい(太い本みたいな)一昔前のテープがたくさん収納されていた。さすがはおじいちゃん、専用のデッキも捨てずに残していたので、遅れてやってきた私の弟とその中からおじいちゃんが出てきそうなものを探した。古いから映らないかと思ったら30年前くらいの映像がしっかり流れた。(使い方が分からなかったので母に聞きながら・・・)

それは現在のおじいちゃん宅の新築披露会なるものだった。親戚なのか会社の集まりなのか、よく分からないが20人くらいが集まり、新築のおうちで飲み会をする様子が映し出された。結婚前の母の様子もあり母は恥ずかしそうだった。

おじいちゃんが出る場面を探したが、そこに映るおじいちゃんはおそらく主役のはずなのに全然話さない。「一言どうぞ」と話を振られても特に内容のないお礼の言葉を言うだけだった。おじいちゃん本当はこんな会やりたくなかったんじゃないかなと思った。私だったらやりたくない(笑)

あれ、おじいちゃんってこんな人だったんだと思った。恥ずかしがり屋で大勢の前で話すのは苦手だったんだ、と。今まで当たり前だが「おじいちゃん」としての「おじいちゃん」しか知らなかった。
考えてみれば、母の兄も母も弟も大勢の前でワイワイ話すタイプではない。どちらかというと人前では控えめで強い意見とかは言えない(言わない)タイプ。

なにか、私の家系のルーツを見た気がした。もちろん、親やその親の性格がそのまま遺伝するわけではないと思うけど、私は私でいいんだと思えた瞬間だった。私はほかの家族に比べると少し違うのかもしれない。学生の頃は留学に行ったり、現在は仕事で営業職をしていたり、そこまで初対面の人と話すことは苦ではない。でも、心のどこかで、「できる」だけで「好き」じゃないって感じる自分がいる。
そんな自分を直さなきゃとか、私らしさって何なのかと感じることが時よりあったけど、別にそのままで、ありのままでいいんだって感じた。

おじいちゃんはありのままのおじいちゃんの姿でみんなに私に愛されていたし受け入れられていたんだなぁと思った。

なにか繋がっているようで繋がっていないような話になってしまったかもしれない。文章に起こしたいという気持ちが久しぶりに湧いたものだから許してほしい。


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