家路の海
(※これは私がよく見る夢の内容を小説風に書いた夜話です。Twitterに思いつきで書いたものを少し修正して転載しています。)
「私は家に帰らなければならない」
灰色の空と荒れた黒い海。眼前に浮かぶ白くて大きな船へ乗り込む。あまりに船が揺れるので不安になって足元へ目線を落としたところでいつも夢がはじまる。
それにしても、寒い。去年捨てたはずのカーキ色のミリタリーコートのチャックを首元限界まで上げる。
私がここから家に帰るには船を二回乗り継がなければならない。本当はこんなに海が荒れた日に船になんか乗りたくないが、船は4日に1度しか出航しない。今乗らないと会社に申請した有給休暇の期日通りに帰ってくることはできない。乗り継ぎのこともあるし、計画の変更は許されない。
「私は家に帰らなければならない」
チケットを買うのがギリギリになってしまったため、船内席がとれず、甲板に設置された船外席に座らなければならなくなってしまった。私と同じような人がわりと大勢いて、船外席もすぐに満席となっていた。みんな黙って俯いており、誰の顔もよく見えない。
異様な雰囲気に身を固くしていると、船がゆっくりと動き出した。どんどんと天気が悪くなり、遠くの方で雷が光りはじめた。その下には巨大な白い鯨の頭が見える。あんな大きな鯨は見たことがない。私の視力では到底見えるはずもないのに、鯨の真っ赤な目がこちらを見ているような気がしてとても怖い。
船のスピードが上がり、揺れがひどくなってくる。船外席なので水飛沫も容赦がない。こんな所に席を作るとか頭おかしい、次こそは絶対船内席にする!と心で叫びながら、必死に座席にしがみつく。
一際ひどい揺れが来た時、隣の席の人がぽんっと海へ落ちていった。
強風にされるがままに四肢を揺らし、暗い海の中へ吸い込まれていく。
ヒィッ…と息を飲むが、それどころではない。尋常ではない船の揺れと、雨なのか海なのかわからない大量の水が強風と共に体に纏わり付いてくる。船外席に座っていた人々が人形のようにどんどん海へ投げ出されていく。
あまりに状況が悪すぎて、もう自分の席にしがみつくしか選択肢がない。助けを呼ぶ声も出ない。海水を被りながらも必死で目を凝らすと、海が全く見えない。視界が白で埋め尽くされている。一面白色の中に暗く濁った赤い色がぼんやりと浮かぶ。
遠雷の下にいた巨大な白鯨が船の真隣を泳いでいた。
船の揺れはこの白鯨のせいだ!
そんなことがわかっても全く意味はない。私には何もできない。
白鯨は雨風に晒されて船から落下寸前の私を嘲笑うかのように赤い瞳を歪め、次の瞬間、高く飛んだ。
私はそれに巻き込まれるように宙に投げ出され、意識を失った。
「私は家に帰らなければならない」
気がつくと別の船に乗っていた。どうやら、乗り換えるはずだった船に乗っているらしい。周りに白鯨の姿はなく、私自身も無傷だ。夢の中で夢でもみたのだろうか?ミリタリーコートはどこかに忘れてきたようで、黒い半袖Tシャツとカーゴパンツ姿になっている。
目の前には先ほどまで私を苦しめていた荒寥とした黒い海ではなく、青く澄み切った空と海が広がっていた。特に海の水の透明度が半端ではなく、覗き込むと海底まで見えてしまいそうだ。
乗っている船も小さめの漁船のようなもので、ゆっくりと海面を滑るように進んでいく。
空と海の境界線が曖昧で、まるで船が空を飛んでいるようにも見える。世界の何処かには存在しているんだろうけど、映像の中でしかみたことがないような幻想的な風景…
こんなに透明な海の中ってどんな感じなんだろう?と好奇心から船の上から水面を覗き込んでみた。
海の中には信じられないくらい大量の生物が蠢いていた。海は深いけれど、海水の透明度が高いので海底まで覗けそうなのだが、魚影のようなものが邪魔をして全く見えない。
普通の魚のようなものから、船の10倍はありそうな巨大なサメのようなものが海の中を泳いでいる。
光る球体のような魚や、頭中に目がびっしりとついたタコのようなもの、人間のような顔を持つマナティなど異形の生き物がうようよといる海は正直めちゃめちゃ怖かった。
同船している他の客がロールケーキを海へ投げ込むと、人面マナティが5匹くらい寄ってきて、「パッサパサヤンケ!」と鳴いていた。
幻想的ではあるけれど気持ち悪いので早く船を降りたいなあ…と思っていたら、船が止まった。船員に尋ねると「しばらく休憩するよ。せっかくだから、海で泳いでくれば?」と狂った提案を受けた。
え?こんなヤバげな生物がうようよいる海で泳げっていうの?
うーん、でもちょっと泳いでみたいかも…
夢の中で私も少々狂っていたようで、異形の生物に関わりたくないと思う一方で、こんな綺麗な海で泳いでみたい!この透明な液体に体を浸してみたい!という好奇心が抑えきれなかった。
船のヘリに座り、素足を浸してみる。海水は少し冷たくて、ぬるりとしていた。
海がクリアすぎて、水が存在しないように見える。このまま飛び込んだら海底まで真っ逆さまに落ちていきそうでドキドキしたけれど、足下で8メートル以上はありそうな大きなエイがゆうゆうと泳いでいたのが見えたので、最悪、落ちたらエイに乗ればいいと思い、頭から海へダイブした。
どぶんと顔から水の中に入ったわりに鼻が痛くない。思ったよりも浮力が高く、簡単に体がぷかりと海面に浮き上がった。溺れる心配はなさそう。海に浸かった体の背面をシュルシュルと生き物が行き交っているのが感覚でわかり、背筋になんとも言えないゾクゾクとした悪寒が走る。
穏やかな波にゆらゆらと揺られる心地よさやひやりとした海水の気持ちよさを楽しむどころか、私の胸には不安と後悔がどんどんと広がっていく。
怖い。なんで飛び込んでしまったんだろう。今、私の背後には得体の知れない生物が無数にいて、深い深い海に何層にも重なりあって、こちらを見ている。
ここではもう何が起きても私はされるがままになるしかない。私は無力だ。
じっと海に浮かんでいるうちに、船から海鮮バーベキューをするとの呼びかけがあり、急いで船に戻った。バーベキューにつられて帰ったのは私だけで、他の客はまだ海で遊んでいる。船員に他のみんなが帰るまで待ってくれと言われたので、船のヘリに腰掛けて一休みすることにした。
他の客は結構遠くの方まで泳いでいっていて、帰ってくるのにも時間がかかりそうだなぁなんて思っていると、みんな海に沈んでいなくなってしまった。驚いて船員を呼びに行くと、「あー、海に溶けちゃったみたいですね。もう戻ってこないのでバーベキューは中止します。人数が足りないので」といわれた。
4分の1カットされたスイカを渡され、そろそろ出発するから船室に入ることを促された。
ポンポンポンと船のエンジンの音が聞こえ始める。
早く家に帰りたい…てか、こんな苦労して帰って、1日実家に滞在したら、また同じ帰路につかなければならないかと思うとうんざりする…
帰りは絶対に違う交通機関を使おう。というか、もうこんな海は絶対に通らない!
そう固く決意して、目を閉じる。
ポンポンポン…
船室には船のエンジン音だけが響いていた。
ちなみに私がこの夢で実家にたどり着いたことは一度もない。
おわり
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