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今でなければ書けないこと

俳句の世界に足を踏み入れてまだ1か月と少し。なので俳句の何たるかなど恐れ多くてとても書けない。まだまだ未熟で学びが足りないしもっともっとの精進が必要な身であることは重々承知している。おそらくこの先、何年何十年の単位で考えるともっと知識や経験が増えるだろうし、いろいろなことが当たり前になってくるはず。

なので、初心者の今、始めたばかりで何も知らないところでの疑問を書き残したいと思う。自分の理解が足りないことはわかってる。続けてるうちに納得したりその良さが分かってくるだろうけど。

俳句ってそもそもが有季定型 季語を1つ入れて五七五の音で表現する詩型と理解している。それなのに、無季語とか破調とか更には自由律とかある。そういう表現はあって良い、その言葉でしか言い表せない世界観はあるはずなので、美しかったり素晴らしかったりするだろう。
でも、そういうものを「俳句」って言うのは何故だろう。素人の素朴な疑問。先人が俳句と定義付けたので自由律は俳句。では俳句の決め事って一体何?
ほとんどの解説では、「そういうものがあるけど、熟練者のウルトラCだから初学者は有季定型から始めるように」としか書いてない。

これから多分、俳句に取り組んで行って、それはそういうものだと受け入れるだろうし、経験を積むことで違う世界が見えてくるかもしれない。
どんな世界にも「守破離」の原則があるのだろう。当たり前だけれど、まだまだ先は長いな~って思う。そのような句の俳句としての素晴らしさを実感できる日が自分にも来るのだろうか?
でも、まずは基本を学び自分に馴染ませること。

今の自分、季語を覚えて季語が重ならないように気をつけて、口語一辺倒から少しずつ文語、旧仮名遣いに慣れてきて、品詞や文法も囓り始めて・・・
説明文とか報告文みたいにならないように工夫が大事だよってところ。
何も知らなかった1か月前より成長してる気がする。疑問は疑問として、基本の型や考え方を身につけることをまず目指す。以上のことは、俳句好きです。趣味にしてますって言えるように「俳句」として自分の表現を世に出すときのこと。


それと同時進行で、俳句っぽく言葉を並べて自分が出会った感動とか情景とか心情とかを表現することもしていきたいと思う。型に沿ったものじゃなくても、言葉の使い方が違ったとしても、自分が表現したいことに一番ピッタリくる自分なりの言葉を見つけていきたいと思う。「みんなの俳句大会 宇宙杯」もきっとこんなコンセプトなんだろうと思う。