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数日前、noteから通知をいただいた。2年の継続記念ですと。そうか~登録して2年なのか、投稿を始めて2年なのか、一番最初の投稿が6月20日になってるので登録してすぐに一本投稿したんだっけ。
どちらかというと、「もう2年」より「まだ2年」の方が強い。投稿数も350本だけだし。どういう方向性で何を書いていくのか、常に迷走してる感じだし。

でも基本的なことは、どこで何を書くにしても変わらない。自分の言葉で自分が書きたいことだけ書く。明らかな誹謗中傷はしてないつもりだけれど、人と違う意見を持ったら勇気を出して異論・反論も書いてみたい。
気遣いと忖度の違いとかいろいろ課題はあるし、自分の意図とは違う形で誰かに何かを与えてしまうことはあるけれど、誰かを困らせたい思惑などこれっぽちもない。

自分がnoteに投稿する記事は、排泄物と同じようなもの。自分の想いや気持ちや思考・感情を整理してスッキリさせるのが主目的。自分勝手な妄言・迷言の羅列でしかない。
唯一、仕事関係で制度や法律に関しては誤解の無いように正確を心掛けてるけれど。

過去の記事を振り返ってみて、自分が変わらないことに少し安心して、あまり成長してないことにも少し危機感を持ったりする。
でも、note始めた当初には、他のnoterさんとの交流とか想像できなかったし、その上に俳句や短歌を自作するなんて思ってもみなかった。2年前にnoteに足を踏み入れたことは、自分にとって大きめの転機なんだと思う。

習慣化とか継続とかいろいろ言われてるけれど、続けたい意思で何かを続けるのは意義があることだけれど、noteに関して自分は続けたいより、何となく続いている感じ。飽きたり書けない時には休んで、書きたくなったら再開するも良いし、止めるのも別に良いんじゃないかと思っている。
時々、血迷ったかのように数値目標なんかを出してみるけれど、達成した試しがない。これからもマイペースで日々の徒然を書いていきたいと思う。
来年の今頃、3年経って何か違ったこと感じてるか、今と変わらずユルユルしてるか、楽しみにしたい。

noteでのお師匠さんというか、恩人のこの方が、こんな記事を書いていた。私のは駄文なので、バックアップとかほとんど考えていませんが、もしご自身の記事が消えたら「もったいない」とか「心配です」って方は、ご検討されたらいかがでしょうか?


自分のブログ歴はなんやかや15年くらいあって、2~3のプラットフォームが消滅して、投稿記事は全部消えてしまった。どのくらい投稿数あったのか何を書いたのか全くわからないけれど、残していないことの後悔はほとんどない。けれど、息子の成長具合とか家族での想い出や利用者さんとの関わりなど、いくつかもう一度、読み返してみたいな~って思うこともあったりする。
だけど、アメブロで過去書いた記事が、自分で頑張ったつもりだったのに読み返すとすごくショボかったってこともあるから、過去の栄光は自分の記憶に留めておくのが良いとも思ったりする。
どうせ同じようなことしか書いてないし、noteがダメになったら別のところで似たようなことを書くのだろう。今は前進あるのみ。残しておくより、書いて形にすることだけで満足。

ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
タイトル画像を提供して下さった「いろいろ書くちー」さん、いつもありがとうございます。たくさんの沁みる言葉があって選ぶのが楽しみです。