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集団での行動 グループでの活動

ジムに行くと、おばちゃんとか若い子もそうだし数人くらいのグループで行動してる人が割と多い。よくこんなに喋ることがあるな~くらい仲間内でのおしゃべりを楽しんでいる。
入り口から更衣室、トレーニングのどこそこ等、よく目に付くところに「マスク着用」「大声での会話厳禁」と大きく張り紙がしてあるにも関わらず、家のことや身体のこと、他人の噂話などに勤しんでいる。
「赤信号、皆で渡れば怖くない」まさしくそんな感じ。その場では、社会人のマナーよりその集団の行動に染まることが善なんだって感じ。

今は、人は人、自分は自分の意識が徹底してるし、別にその輪の中に入れなくても気にしないけれど、ある種の人達の行動様式って年齢は関係ないんだな~って感じる。

学生の頃、小学生の中学年くらいには、ある種の女の子は徒党を組む。仲良しごっこというか、本当に仲良しなのかもしれないけれど、何となく同質というか同レベルな人達が固まってグループを作る。
自分は一歩先行く人達の仲間には入れないし、そもそも同年代の中に溶け込むことも苦手な質だった。数人の友人とつかず離れずみたいにして、教室の隅っこに何となく佇んでいるようなイケてない人だった。
キャピキャピと男女問わず冗談を言い合い、クラスの中心的な存在で楽しそうに笑い合ってる人達。彼女達の姿はすごくまぶしく感じられた。
その中にいる時は、それなりに悩んだりした。人と交われない自分。口下手で会話ができない自分。もう少しあの子達みたいに上手に立ち回ったり、たくさんの友達と上手くやって、学校生活をエンジョイしたい。みたいな。

そんな、自分のコンプレックスと相まって女の人の集団って今でも苦手。でも、参加できない自分を卑下することはなくなった。
子供の頃は一方的で断続的な見方しかできなかったけれど、年を重ねるにつけその集団は集団として見えるけれど、それを形作ってる1人1人にもそれぞれの思惑があり、大変さもあるんだな~って感じたり、集団を作るのはある種の弱さを孕んでるってこともわかるようになってきたから。

自分は単独行動とか、2人とか3人くらいの小人数で、それぞれが対等に関わる関係が好き。お互いに頼るときは頼ったり協調するけれど束縛したり、牽制しない、緩やかな関わりができる人と付き合いたい。数は多くないけれど一緒にランチしたり食事に行くのはそんな人達。

大人数での行動は、今でも苦手。だけど、グループワークとか職場とかでの協力はしていかなければならないと理解している。どこか醒めた目で見ながらそれなりに場の空気も読めるようになって、それなりに流せるようになっている。

人としての理想は、集団に頼らなくても自立できることと、集団の中にいても自分らしさを失わずに馴染めることかなと思う。
苦手なことは別に得意にならなくても良い。苦手なんだって自覚して、そんな中でできるなりのことをすれば良い。苦手=嫌いとは限らない。

noteの街でも、だからサークル活動には無縁だし、仲良しグループ的な人達の輪の中には入りにくい。自分勝手に単独で活動している。
だからといって、人嫌いでもなく、素敵な人のフォローはするし付けたいときにはコメントもする。気に入った企画にも参加したい。

冒頭の描写で、ジムで集団形成してるおばちゃん達も、1人1人は普通の人。「こんにちは」「お先に」くらいの挨拶はするし、視線が合えば微笑み合う。集団対自分の時、集団を敵視することもなく淡々とその場にいれば良いのかな~って思う。会話って聞いてるだけでも学びの宝庫。生の感性を知ることができる。