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未来のためにできること by 専業主夫

このテーマを見て、思わず考え込んでしまった。
サラリーマンとして凡庸な人生を送ってきた僕に、できる事などあるんだろうか。

定年後専業主夫となり掃除、洗濯、炊事といった家事をこなす日々。
なるべく乾燥機は使わず天日干しでとか、賞味期限近いセールになった食材を買うとか、エコバックを使うとか、断捨離は捨てずにフリマアプリで出品とか、車を使わず歩くとか。

所詮、節約×健康×エコの一石三鳥を狙ったセコイ活動に過ぎない事ばかり。

一昔前、スウェーデンの若い環境活動家グレタさんが話題になった時、「ようやく世界を救える凄い人が現れた」と思いつつ、「そうは言っても世の中そんな単純じゃないよ」という思いが拮抗した。

いやいや、思うだけで具体的に動こうとしないズルい大人の典型的な言い訳に過ぎないが、それでも北欧の一少女の活動は僕の頭の片隅に残り、その意識が僅かながらにエコ活動へと繋がっているのは間違いない。

湖面に投げた石の波紋が静かに広がるがごとく、勇気ある誰かの行動は時に世界の裏側にまで届く力を持つ。

しかし、未来、エコなんてことを考える前に、僕にはどうしても理解できない、我慢できないことがある。

21世紀、ロケットでの月旅行や再生医療が実現しようかという時代に、なぜ国と国が人を殺し合う必要があるのか。なぜそんな戦争を止められないのか。

一体何をどう理解すれば、今現実に起きている戦争を正当化できるのか。
なぜ日本国は、諸外国は、もっともっと必死になって止めないのか。
SDG'sを高らかに謳う企業は、なぜこの戦争に言及しないのか。

サステナブル云々なんて話ではない。
何十兆円もの戦費を使い、何万、何十万という命が、人の手によって奪われ続けている。本来生きられる命が。

僕はこの戦争を直視する時、SDG’s17の目標が霞んで見えてしまう。

もはや我々は、自らの力でこの問題を解決することはできないのだろうか。
人のエゴの醜さの解決には、AIによるシンギュラリティを待つしかないのだろうか。

未来のためにできること。
それはグレタさんが教えてくれた。

たとえどんなに小さくても湖面に石を投げてみよう。その波紋が新たな波紋へと繋がって行くだろう。
その波紋の輪はいつか人々の意識に刷り込まれ、具体的な行動に現れるはず。

そう信じるしか道はない。

今日僕は、このnoteで一石を投じた。
ユニセフへの寄付とともに。

この波紋は誰かに届くだろうか。


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