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オーストラリア日記⑦

去年、2022年2月の終わりにオーストラリアに来てからもう1年以上が経つ。人生(特に私の人生は😂笑)は未知の連続で、到着した時は1年で帰るぞって思ってたのに1年以上経った今も私はまだオーストラリアのメルボルンにいる。

でも今のところ、このビザが切れたら今度こそ本当に日本に帰って落ち着いた生活を送ろうかなと思っている。その前に多分、世界のあちこちを放浪として行きたいところを全部巡る旅をするとは思うのだけど。笑

それが今のところの私の頭の中の計画です。”今のところ”だけどね!!まだ半年あるから何が起こるかは分からないけど。

日本に帰ろうって思ったきっかけは結構たくさんあって。去年とは考え方が変わった点もあって。
そんなことを自分の頭の整理のためにもつらつらと書いていきたい。

私にとってのオーストラリアと日本

去年母に、この先も出来るだけ長くオーストラリアで生きていきたいことを伝えたことがあった。本当にオーストラリアが大好きだし、何よりもメルボルンという街の虜になった。オーストラリアで過ごす毎日が楽しくて幸せで仕方なかった。友達もできて不思議と寂しいやホームシックにはなることが本当に一度もなかった。もちろん言語の壁はあったけど。ワークライフバランスや働くことを考えてもオーストラリアで生きていく方が豊かな人生が送れると思っていた。

母は”はるの人生だからねー!”って言って私の意見を尊重し応援してくれた。その後に、”でもさ〜家族と友達ってプライスレスなんじゃないの〜?!😂”とも言っていたのを今でも覚えている。

その時はそれはそうだけどね〜、まぁ帰った時に会えるしこっちにも友達はいるしくらいに思っていた。

そして2月に一時帰国した時に思う存分家族と友達との時間を楽しんだ。遊んでくれた皆様、時間を作ってくれた愛しの皆様本当にありがとう。

家族であんなにも短期間でいろんなところに出かけて、濃縮された楽しくて充実した時間を過ごしたことがあったけってくらい。あっという間だったけれど本当に良い時間だった。

友達も1年ぶりに会ってもやっぱり落ち着く人たちばかりで、本当に楽しかった。そしてやっぱりご飯が超絶美味しいね!!笑

オーストラリアも大好きだけど、やっぱり日本も大好きだし、何より”あ、ここは私の生まれ育った国で、自分の国なんだ”と感じた。オーストラリアではいつも自分は”外国人”だから。
ありがたいことに私は日本もオーストラリアもだいすきなのだ。どちらにも大切だと思える人がいること、それだけで幸せなことだと思った。


タイムリミットのある生活

そしてオーストラリアに行ってからすごく意識するようになったことが、「時間には限りがあって、いつか終わりが来る」ということ。当たり前だし、よく言われることかもしれないけど、普通に生活していたら身を持って実感することって実はあまりない気がして。
日本で暮らしていたときの私は、時間に限りがあることは分かっていても、終わりが来ることを考えて生活したことはあまりなかったと思う。だって私は若いし、人生はまだまだ長いはず。これからも当たり前のように同じように毎日を淡々と生きていくことができるはずだから。何かが終わるなんて基準で物事や人生や毎日を見ていなかった。

でも、私の場合オーストラリアで生活するためにはもちろん何かしらのビザが必要で、ビザの期限と共に私のここでの生活も終わりを迎える。
だから常にビザの期限との隣り合わせの生活で、私は今日と同じような毎日をここでは永遠に過ごせるわけではない。去年も日記に残り日数をカウントしていたし、今も常に「あ、あと何ヶ月残っているか」と心でカウントをして意識する。常にタイムリミットがある生活。

オーストラリアで暮らせる時間があとどれだけ残されているか、ということを意識的にも無意識的にもすごく意識する。毎日の価値はどこにいたって変わらないはずなのに、急に毎日の価値が高く感じる。
スタバの期間限定と同じ心理だよね。きっと。笑

ワーホリや今のビザは有効期限が1年なので、1年がどれだけあっという間であるかということも身にして感じる。だからこそ、今に目を向ける大切さを実感する。10年後のことを考えることももちろん大切だけど、今日という1日を楽しく満足して過ごすことの大切さを身を持って感じている。

だから、やりたいことや行きたいところは先延ばしにしている時間はない。今できなかったら一生できなくなる可能性がだいぶ高いのだ。
ここで出会う友達はビザ持ちなことが多いから友達もずっと今みたいに会える保証はない。気になるイベントもまた来年行ける保証はない。行きたいカフェも山ほどあるけど、ビザが切れるまでに全部行ける保証はない。だったら今日友達に会わなくちゃ!今週末はそのイベントに行かなくちゃ!ちょっと早起きをしたとしても仕事前にカフェに行ってコーヒーを楽しまなくちゃ!

そんなマインドで生きています。本当は人生にはいつか終わりが来るのだから、日本でだってどこで生きていたってそれは同じだから、本当は毎日にもっとフォーカスするべきだったんだけどね。

これを心の底から実感できたことはオーストラリアに来て学んだ大切なことの一つ。

やっぱり家族と友達はプライスレス

だからこそ一時帰国して特に家族と過ごす中で、私がこうして家族(特に両親)と楽しく過ごせる時間はあとどれくらいあるのだろうとふと考えている自分がいた。
現実的に残念ながら人は老いていき、人生を終えてゆく。私が1番若いのも今だけど、両親のこの若さも今しかないわけで。
オーストラリアに行く前は、実家暮らしで家族の過ごす時間が当たり前だった。でもオーストラリアに行ってからそれが当たり前ではなくなった。

それは私の考えが変わるきっかけの一つだった。
家族と友達って私にとってやっぱり本当にプラスレスだった。会いたいと思った時に会える距離にいたい。

オーストラリアに家族はいない。友達はいるけれど、その友達の大半も永遠にここにいるわけではない。いつかはお別れが来る。そしてその寂しさも知っている。ここでは本当の意味では常に孤独なんだと思う。人に頼っていたら寂しくて悲しい思いをすることになるから。自分の機嫌は自分で取っていく強さとしなやかさが必要だと思う。どこにいてもこれは大事なことなんだけどね。笑

そして自分だってあとどれだけここに残れるかも分からない。そんな刹那的な毎日を過ごして何年も生きていくほどきっと私は強くない。家族や友達としばらく会えない期間限定での離れ離れはできても、生涯を通しての離れ離れはきっと私にはできない。だからここで永住権を取って住みたいほどの覚悟はできない。少なくとも今は。だったらいつかは日本に戻ることになるし、時間とお金をもっと別のことに使った方がいいんじゃないかと思った。

言語の壁、外国人として生きること

そして当たり前なんだけど一時帰国した時に、言語の壁なく、みんなと日本語で話して、自分の言いたいことが全部言えて、相手の言ってることが細かいニュアンスまで無意識でも分かるっていうことが当たり前の環境ってすごいなって思った。本当にノンストレス。

そんなことオーストラリアに来る前は思ったこともなかったけど、言語って本当にめちゃくちゃ大きい。

生きていけるレベル、仕事ができるレベル、にはなったとしても、私の脳内は常に言語に対する意識と負荷がかかっている感じ。母語と第二習得言語って本当にツキとスッポンくらい別物。
オーストラリアにいると自分の英語力や言語の壁について考えない日なんて1日たりともない。無意識にでも考えざるを得ない。


だから日本にいる時くらい脳を休ませたくて英語とは縁を切ったら、オーストラリア戻ってきてからたった3週間だったのに英語力がガタ落ちしたってのは内緒🤣😂だからそれは絶対にオススメしない。やはり継続は力なり。

日本で仕事を探すときって、会社の規模はちがってもだいたいどんな職種にもトライできるじゃん?
でもここに来たほとんど(特に英語を母語や第二言語としないような私たち日本人)は選択肢がすごく狭まっていて、だいたいがホスピタリティの仕事をすることになると思う。例え英語を母語とする他の国からの人でも何年こっちに住むか分からないその人よりも、きっと長く働いてくれるであろうオーストラリア市民を取るのは会社としては当たり前のことだよね。

外国人として他の国で生きていくって多分そういうこと。外国人として生きていくにはたくさんの不利が付き纏うことを認めざるを得ない。

言語の壁がある、ビザがある、外国人というだけで、当たり前の基準がぐーーーんっと下がらざるを得ない。日本では当然だった、当たり前の基準に立つことさえできない。
だってそれは私が日本人だから。それ以上でも以下の理由でもない。
言語の壁なく言葉を理解できて、当たり前に文化や習慣やルールも分かっていて、ビザの補助も必要なく永遠にそこに住むことができて何年も働けるからできる当たり前の有り難さにも気づいた。

そして絶対とは言い切れないけれど、ごく稀に超才能あるセンスある人だったら別だけど、残念ながら私も含めてほぼ大半の人は1年やそこらで英語はネイティブのようには喋れるようにはならない。
もちろんやればやった分だけ向上するし、できるようになるとは思うけれど。
英語が母語でも第二言語でもない、こっちに移り住んで当たり前の基準に立って、当たり前にこっちで生きている何不自由してなさそうな友達と話すことがあるけれど、そんな人たちでさえ「母国語には叶わないし、言語の壁は今でも大変な時がある。」って言っていた。そしてだいたいその人たちは1年とかそこらの年月ではなく5年、10年といった長いスパンでこっちで時を過ごしているのだ。当たり前を得るためにそれまでに、たくさんの苦労と時間をかけてその当たり前に立っているんだと気づく。

そして私の特技は多分話したり聞いたりして、コミュニケーションによる人間関係作り。のはず。笑
でもそれは母語の日本語があってこそ、私の力は発揮されると思う。だから仕事を考えたときに、私の強みと好きなことを活かせる仕事をしようと思ったら日本で仕事をした方が満足度が高くなりそうって思った。


夢みたいな場所も日常の現実となる

去年初めてオーストラリアに来たときの生活は毎日が刺激的で、毎月色んなことが起こって、新しい発見が本当にたくさんあって飽きのない夢みたいな生活だった。
語学学校に通うのも、新しい友達に出会うことも、行われるイベントも全てが初めて。新しいカフェを発見するだけでも楽しくて、見るもの全てが新しくて楽しい。ちょっと話せたり聞けたりするだけで嬉しくて楽しい。メルボルンで過ごして生きているだけで新しい発見と楽しみがあった。メルボルンでの私の毎日の生活は魔法がかかったみたいに楽しかった。

でも2年目のいま思うことは、どんな場所もきっとその魔法はいつか解ける。このイベントは去年も見たし行った。お気に入りのカフェだってできた。会う友達は新しい出会いよりも、去年出会った本当に仲良い子たちが多い。月から金まで働いて土日は休む生活。
これって日本で生活していた時と大差なくない?そう私の大好きな魔法のような街だと思っていたメルボルンもこうして、日常となるのだ。

もちろんまだまだ新しい発見はあるけれど、新しい発見を自らしようとしない限り、日常的な当たり前の毎日が続く。

どんなに素敵な楽しい場所も日常になる得るんだなって気づいた。結局は自分次第。1年目の全てが初めての楽しさを満喫して、今は日常としてのメルボルンを満喫している。1年目の時はとにかくもっと楽しみたいっていう心残りがあってだからこっちに残ることを決意した。そして今、魔法が解け始めて日常となりつつあるメルボルンなら、心から満足してきっとオーストラリアを離れることができるなと思い始めた。

限りある時間を大切に。
今を楽しみつつ未来のことは考えすぎずに。
でもいつか未来の自分が”過去の自分ありがとう!”と思えるような毎日を過ごしていきたい!

そんなことを思いながら大好きなオーストラリア、メルボルンで今日も私は生きています。




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