見出し画像

られスタ3

作られていく自分

自身の親の【親】スタイルを否定する気はさらさらない(昔はしたけど)
【夫】と【妻】の関係性も否定する気もない(昔はしたけど)
【嫁【旦那息子】姑】の関係も・・・ (昔はしたけど)

「選択の際 子の基準、感覚で判断・決断させてはもらえない」

というと親が悪いみたいになってしまうけど
そうじゃなくて「失敗したら可哀想」とか「周りから許されないだろう」とか「正しくない」とかの単なる思い込みで(親切心から)「体験すっとばして正しい結果を教えてもらった」みたいな感じ?「近道育児」?

自分で感じたり考えたりして行動して失敗したりうまくいったりすると
その都度「感情」とともに体験をゲットする。
正解を教えてもらうだけでは「感情」を伴わない知識が身につく。

そんな違いがあると思う。
感情とともにゲットしたものは腹に落ちる、自分のものにできる…
そんな感じ。

愛がなかったわけじゃない



愛情はたくさんもらったけど、私が本当に私である為の選択は許されない。(と感じていた)
時々「今日はもしかしたら?」と自分を出してみるが階段を一段上って光が見えたときに後ろから倍の力で引き戻される。
一歩進んで二歩下がるをやっていると、だんだん一歩目も怪しくなってくる。

そうやって「自分の本能で動く」ことをあきらめていく。
そう「言われたとおりにしないと生きていけない(と思っていた)」し
何より否定されたり説得され続けたりすることに疲れるのだ。
だんだん自分を出すことをしなくなる。
まだ自分では気づいていない。
自分を押し殺して「なるべく否定や対立がなくそこにいる安全な日々を選ぶ」毎日に。 物理的に生きることを選ぶと感情は死んでいくこともあるのだ。
暴力があったわけでもない。
ただ、「こういえば叱られない」「こういえば一発OK」を学んでいく。(元来のめんどくさがりが一番元気)

そして「それが普通」になっていく。 
自分らしさやこだわり(自分の好きややりたい)をすてて その場がうまくおさまりスムーズに運ぶことを優先事項とする。

現在にリンク

え。若い頃の自分を振り返りながら書いていたつもりが現家族の中に同じ状況になってる人を発見。

いつも「なんでこんなにめんどくさがるんだろう」って思っていた。

こういうことか。

おおう。
まるっきり同じやつやっちゃってる。
そう、私がしていたのも「良かれと思ってた近道育児」

「こうしたらいいのになんでわかんないの!?」って思いながら感情をぶつけたことも数知れず。はずぅ。そしてごめん。

そら、わかんないよね。

それを体感しながら経験するために生まれてきたのになんで「ネタバレ」?ってなるよなぁ。

親も初心者


こうやって
自分の中の人や
自分の着ぐるみと向き合って話すことで
目の前の子たちを色んな角度、視点で感じることができるようになる。親としての私の部分が成長できるのはやはりこういう時だなぁと感じる。

親も成長

【育児は育自】

亡くなった母が教えてくれた言葉。
そう。私が成長するためにはいろんかことが必要。
それを助けてくれようとしてるって思う。


ありがとう 大好きな子たち!

あなたたちの愛を受けてすくすく育ってるよ!私。


今日も大切なお時間を使って読んでくださってありがとうございました





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?