見出し画像

小1の壁は本当に壁なのか?「見させられている壁」との付き合い方!

最近インスタに「小1の〜」がよく上がってきます。

うちは、今年小1はいないので、眺めているだけですが、そもそも「小1の壁」に違和感があるので、言語化していこうと思います。

この本、結構ショッキングですが、読んで良かったと思っています。これにも、子どもって本来「仕事or子育て」っていうものでもないし、子どもの愛着が軽視されているという内容が書かれていました。(ざっくり)

最初に書いておくと、私は「小1の壁」を感じたことはほぼないです。(小1の子育てや予定のやりくりが大変だったことはあります)

育休が重なっていたりということもありますが、多分壁の情報を収集していないからだと思います。

「壁」って言われれば壁だし、「成長」って言われたら成長に見えるのです。ただ、インプットに対して、どういう意味を自分がくっつけているかの問題です。
(このあたりはノートに書き出すと、すごく分かりやすいです)

そして、子どもだけでなく、親も成長すべきだと考えているので、小1はどちらかというと私のステップアップ時期(キャリアや暮らしをまた整え直す時期)のイメージです。

前の夏くらいからゆるく考えて、冬くらいから準備してみる。
でも、実際にはいろんなことが忙しく、春にバタバタとライフスタイルを調整していました。

結果、子どもも親も安心して、小学校にインできたので、すごく良かった。変化が楽しいと思えました!

問題は、社会全体が「壁がある」ことにして、そこにサービス展開しているから、みんな壁があると思って、それに備えたり、本来壁でないことが壁に見えてしまうのではないか?ということ。

本当に小1大変だったという人はいると思います。

でも、だからって、全員が壁のために準備するの?
それって自分の人生だったり、子どもへの関わりを見直すチャンスではないの?

見えない壁を見えるように可視化されて、煽られている感じが、私は苦手だと認識しました。
これは、いろんな時にも感じていて、多分感受性割と高めだからかと思われます。

ということで、インスタとかで「みんなやっているし、大変だ」という情報が流れてきても「みんな大変だね」と外から見るようにしています。
そこに入っていかない。
これは、視点の問題なので、外にいるか、中にいるか選べます。

改めて、どこかの誰かにあわあわさせられるのではなく、私は私の人生をいつも生きていたいなと思いました。

では、また!