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5月4日お別れの日

イブニングペイント「5月4日」

この日は、妹とお墓の掃除をしてランチして実家の掃除をした。

久しぶりの「こんな時」を迎えて、
過去の見送りの時となんだか違うと感じていた。
こんな時、以前は取るものもとりあえず病床に集まってそばにいてその時を待った。
今は、コロナ対策で面会は1回に2名15分以内。
それが終わると、家に帰る。
一人でいても落ち着かなくて、妹に電話して「あー、暇なわけだね」と言い合ったら氣持ちが少し緩んだ。

時間もあるので、お墓の掃除をして、お花を買って、実家の仏間を掃除した。
仏壇を掃除して燭台を綺麗なのに置き換えて、お花を挿す。
掃除機をかけてヘタったカーペットを処分して、お坊さんように分厚い座布団をだしたら、口に出さないまま二人で「準備してるんだな」と感じた。

母の入院先についた時間もちょうど面会時間のはじまったところで、コロナでいろいろ変わったことは矛盾もあるけど、帳尻が合う場合もあるんだなと思った。

午後。
母と私と妹が病室にいた。
この3人の人間模様が、わたしには苦しかった。
子どものころから、ほんとうにいろいろあった。

大人になってから、妹はわたしにできない大切な実務を引き受けて、そのおかげで母は施設で大切にしてもらえ、生き延びてここまで来られた。
なのになぜか、わたしがベッドサイドの母の近くにいて母の肩を抱きしめている。

「おかあさん、おかあさんが私の頸と頭の後ろにたくさん差し込んだエネルギーコードと身体中に埋め込んだ呪は、お母さんのやで全部抜いて外して持って行ってな」
もう伝えたいことは残ってないはずが、心で思う前にこの言葉が口から出ていた。
言ってしまってから、後ろで聴いている妹を少し意識した。
酸素マスクを外され、目を閉じて口で呼吸している母。
苦しそうに息をしている母に、こんなこと届くだろうか。ようやく言葉が出た瞬間に「どうせ無理だ」と體が反応したのがわかった。


大きく開いた母の口の下顎が、わたしがそれを言いおわった時にぐーっと動き出した。
下唇が上唇に引き寄って行って、ぐぐーっと左右の口角が上がった。
そして、喉の奥から「ごろごろごろ・・・」と、呼吸音のような振動する音が聞こえた。

「お母さん、笑ろとる。わかったんやな。持っていってくれるな」
と、妹が言った。
現実主義の実務担当だと思っていた妹がそう言ったことが、わたしには意外だったけど、やっぱりわたしと妹は姉妹で、わたしと母、妹と母は、それぞれに親子なんだなと。

とてもいい時間だった。
そして、それが最後の面会だった。


降りてきた道を上昇するように戻っていくのかな。

いろんな色があった。

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