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敬意のあるコミュニケーション

自己分析をするにあたって自分の大切にしていることを言語化することの大切さを感じる。
自分を正しく理解してもらうことは自分の居場所を確立するためにもとても重要である。
今回、自分が一番大切にしている「敬意」についてを言語化していく。

敬意とは

敬意とは相手を敬うことであり、相手を認めることだと思う。
全ての人(年齢/性別問わず)はある点においては私よりも優れている。
特定の知識についてかもしれないし、身体能力(頭の回転等も含む)なのかもしれないし、経験なのかもしれない。
一方で私もすべての人に対してある点においては優れていると思う。

私はすべての人に対して尊敬をしている。心の底からである。これは何かというと「自分に持っていないものを人(他人)は持っている」ということが根本にある。

人生はその人固有のもの

自分は自分の人生しか生きていない。今の自分に至るまで無数の選択をしてきた。その過程で得られたことも無数にあるが、得られなかった経験も知識もたくさんある。そう考えると自分は万能ではないし全能でもない。

誰しもそうだと思う。もちろん時間に対して知識も経験も多いし深い人はいるかもしれない。生産性の高さも人によってまちまちかもしれない。
けどその人の人生で得られた経験や知識はその人固有のものであり、優劣はつけられるものではない。

人は誰しも平等である

天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」という言葉がある。解釈は様々だが私は「誰しもが平等であり、上下関係は存在していないこと」を表しているのだと思う。

敬意のあるコミュニケーションを

基本的に私は人を嫌いにはならない。人の個性は優劣がなく魅力的なものだからである。人とのコミュニケーションが好きなのも、その人の個性が垣間見える時に自分との差異を感じれるからである。

ただ、敬意がないコミュニケーションをする人が嫌いだ。
立場や年齢が上だからといって断定的な発言や高圧的な態度をとる人がいる。
もちろん目上の人は尊敬すべきである。なぜなら知識も経験も多いし深い可能性があるからである。だからと言って手放しで尊敬はできない。

私は人との物差しで最初に持つのはこの観点かもしれない。
これは自分自身を知るにあたって大きな気づきであった。
敬意のあるコミュニケーションを周囲には求めるし、自分も心がけたい。

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