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#写真コラム

気になる、ストリートフォト問題

※後半の投げ銭用のおまけ記事、無料公開に変えてみました。 硬めの前半と、気軽に書いたゆるゆるの後半のギャップをどうぞ。 ネット上での写真公開についての基準というものは、人によって曖昧だ。 今回こちらの記事をうけて、自分の感じている事を書いてみることにした。 ストリートフォトは、現代において難しいジャンルだと思っている。 肖像権と写真の文化という問題に、明確な答えが出されていないからだ。 SNSが一般的になったこの時代、撮られた写真が見も知らぬ他人の目に触れる機会は飛躍的

写真のあなたが見せる顔

人の撮影をしていて面白いな、と思う事の1つが。 ちょっとしたことで、ガラッと変化が起こる事かもしれない。 同じ相手を撮っているのに、印象がくるくると変わるのが面白い。 例えば、着るもの。 ジャケットの色が違うだけで、イメージも変わる。 柔らかなベージュのジャケットは、キリッとした黒よりも 女性らしい華やかさが強調される。 それから髪型もだ。 イベントなどで、ヘアメイクが入るとその効果がよくわかる。 ふんわりかわいらしく、と軽く巻いた髪型と控えめなメイクに… ロッ

写真が楽しくなかった頃

「人として」写真を撮るということについて書かれた文章を読んで。 ああ、となんだか腑に落ちた気分になった。 もう随分と昔の事になるのだけれど、写真が全然楽しくない時期があって。 何を撮っても、なかなかピンとこなくて。 何を撮りたいのかも、よくわからなくなっていて。 迷ってるなぁ、って自分でも感じていた。 今なら、その理由がわかる。 自分の為に、自分の心の為に撮っていなかったからだ。 写真教室での課題の為に、人に見せる為に。 あの時期は確か、そういう意識でシャッターを切

物撮りは、Don't think, feel. 方式で

物撮りって、人物を撮るのとはまた違った視点が必要とされるので… どちらかというと、苦手だなぁって感じていたりします。 もちろん、テーブルフォトの本に目を通したり。 他人の素敵な写真など、意識してみるようにはしているけれど。 「こう撮って欲しい」ではなくて。 「お任せするから、あなたのセンスで素敵に撮って欲しい」なんて。 そんな風に言われて、「はいはい、どうぞお任せあれ!」と スッパリ言い切れる程には…なかなか自信が持てないわけです。 でも、そう頼まれたからには頑張りた

Not 桜日和 ~桜と写真とカメラの話~

今年の春は、どうにも桜に優しくない。 梅雨みたいに曇りと雨の日が続いて、風も強い。 よく晴れた青空の日、桜の下でお弁当を食べている。 柔らかな風が吹いたかと思うと、ひらひらと唐揚げの上に花びらが落ちてきた…みたいなシチュエーションは、どうやら今年は望めないらしい。 ただ桜写真を撮る、という楽しみが損なわれたわけではない。 晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日なりの良さと楽しみがある。 昨日のお天気は、曇り時々小雨。 そしてこの辺りには珍しく、霧が出ていた。 いつも

良い写真、愛せる写真

"良い写真"という言葉には、少し苦手意識があるかもしれない。 その意味の幅広さに、自分の足元がおぼつかない気持ちになるからだろうか? 他人の"良い"は、自分の"良い"とは必ずしも一致しなくて。 それどころか良し悪しというのは、その定義によっていとも簡単に変わる。 そんな不安定さを持つ言葉だからこそ。 他人の口から出る"良い写真"は何を指すか、とても曖昧で。 その言葉にもたらされる、「相手の規範に合わせなければ」という意識と「自分の感覚を貫きたい」という思いとの葛藤が。ち

ハレの日ではなく、日常こそを

昨年夏に、母が急死して。 母の写真を撮っておかなかったことを、非常に後悔した。 後悔についての詳細は、はてなBlogに書いたのでここでは省くけれど… (参照:「母の写真」 http://photalk.hatenablog.com/entry/2017/02/01/120100 ) 撮られるのが好きではない人だったというのもあって。 ここ10年の写真なんて、結婚式や同窓会や旅先でカメラに向かってニッコリした写真しか見当たらない。 まぁそれでも。面影を偲ぶのに不足という程