マガジンのカバー画像

Photalk

51
写真に対するスタンス表明
運営しているクリエイター

2017年2月の記事一覧

ハレの日ではなく、日常こそを

昨年夏に、母が急死して。 母の写真を撮っておかなかったことを、非常に後悔した。 後悔についての詳細は、はてなBlogに書いたのでここでは省くけれど… (参照:「母の写真」 http://photalk.hatenablog.com/entry/2017/02/01/120100 ) 撮られるのが好きではない人だったというのもあって。 ここ10年の写真なんて、結婚式や同窓会や旅先でカメラに向かってニッコリした写真しか見当たらない。 まぁそれでも。面影を偲ぶのに不足という程

例えば、ジャイアンとのび太のように

今日のテーマは、"文章の力"と"写真の力"。 ワークショップの中で、「文章では表現できない、写真の力」 というフレーズを、幾度も先生の口から耳にした。 言葉を尽くしても伝わらない事でも、目の前に提示されることにより 一瞬にして理解を深めることができる。 "見る"という行為にはそれだけ、言葉とは違う圧倒的な部分がある。 だからこそ、写真を選ぶ・見せる時には文章の力は必要ない。 文章の補足なく、写真の力で魅せるものを選ぶべきだ。 たしか、そういう趣旨の内容だったように記

「好きなものに自覚的だね」

「他人と写真を撮る意味」から続いています。   今回の撮影を通して気づいたことは、街撮りにはあまり興味がないということ。LikeはあるけどLoveがない、熱量不足。グラフィカルな写真、目に付いた面白いもの。そういうのって、どうやら自分にとってはわざわざ撮る対象ではないらしい。(人の撮ったのを見るぶんには、面白い)  ノスタルジックだったり、身に付けるものの色使い、  植物などの生の要素を感じられるもの、生活の気配。 そういう人に近い、よりウエットなものに惹かれている。無

他人と写真を撮る意味

先日、ひさびさに参加者の立場でワークショップへ行ってきた。 「街撮りして、セレクトして、見せる」 それを東京から来た写真家さんに講評してもらう、という内容で。 "見せる"を意識して自分が選んだのは、結局たったの3枚。 「午前11時の歓楽街」(広島・流川) 単体で好きな写真ではないし、そういうのは他にあったのだけれど… 「言葉の枠で縛らない」「説明的な写真は選ばない」という先生の言葉を念頭において、選ぶならば。今回撮影したものの中ではこの並びの組合せが、"見せる"