しぬってどういうこと
みなさん今日もおつかれさまです。悠來です。
将来のことを考えるうちに、1番最初にnoteに書いたことを改めて考えるようになりました。
「死ぬこと」に、ついて。
人は死んだらどうなるのだろうか、死ぬってどういうことなんだろう、
小学生の時にこう疑問に思った経験が、今、医師になることに繋がっているのかもしれません。というか、繋げたい。自分の中で答えを出したい。
私は、小学生、いや今まで、近い人の死を体験したことがありません。
曽祖母が亡くなったのは私がまだ小学校低学年の頃ですが、曽祖母に会ったことも話したこともなかったので、特に深くは考えていなかったんです。それから、身近な人が亡くなるということはなかったのですが、
小学生の頃、戦争について学ぶ機会がありました。修学旅行で被爆地に行くためです。「戦争を繰り返してはならない」「人の命は尊いものだ」「何十万人も亡くなった」と何度も本で読み、先生が話し、実際のヒバクシャさんからもお話を聞きました。
この頃から、命ってなぜ大切なんだ、死ぬってどういうことだ、生きるってどういうことだ、と考えるようになりました。
今、当たり前のように、心臓が動いていて、パソコンのキーボードを打つ音がして、なんかちょっと眠たくて、呼吸を何気なくしていて。これが生きているということ?
じゃあ、死んだら、心臓が動いていなくて、何も聞こえなくて、何も考えない、、?私の考えているこの思考はどこに行く、、?不思議でたまらなかった。怖くてたまらなかった。誰かに会えなくなる、というよりも、自分という存在が消えることに怯えていました。
つい最近、お世話になっていた近所のおじいちゃんが亡くなりました。
私にとっては突然のことで、ちょっとまだ信じられていないくらい。朝、おはようって挨拶してくれるんじゃないかってくらい。
おじいちゃんは、お孫さんがいて、休日には洗車をして、冬は雪かきをして。いってらっしゃい、おかえり、もう高校生になったんか、たくさん声をかけてくれました。
コロナ禍になって、あまり会わなくなり、亡くなったと聞いた時は驚きました。私の中でのあのおじいちゃんは、元気に挨拶してくださったおじいちゃんで止まっていたから。最期はあまり人に会わせたくないくらい姿も変化していたそうです。
悲しい、寂しい感情でいっぱいでしたが、心のどこかで、
「ああ、人って死ぬんだ」
と再認識させられました。
どんな人にも最期は来て、それを周りの人は受け入れなければならない。
このおじいちゃんの死は、私にたくさんのことを考えさせてくれました。
人はいずれ死ぬ。医者がどんな治療を施そうと、死ぬときは死ぬ。
じゃあ医者はなんのためにあるんだ。
医者に何ができるんだ。
私は、
人生という与えられた時間を、長かろうと短かろうと、幸せに生きられるように、その手助けのために、医者になりたい。でも、できるなら、ただ寿命を伸ばすのではなくて、健やかに成長できるような手助けがしたい。ということは小児系?
この、医者の役割というのはまだまだ考える余地がありそうなので、また書こうと思います。中途半端。(笑)
以前も書いたことがありますが、人間の人生というのは4回あると思います。ただ、それぞれすぐに始まるものではないと思っています。
人生1回目が終わると、その人生の記憶は無くなってしまうけれども、
きっとそこで培われたものだったり、経験だったりは自分のどこかにしまってあるんだと思う。
次回、生きると死ぬは隣り合わせ?
お楽しみに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?