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子どもに優しい教育を!

「子どもに優しい教育をつくりたい!」

ボクは、心の底からそう思っています。

いや、正確にはこらからお話しする2つの原体験がボクにそう思わせたといった方がよいのかもしれません。


では、早速その2つの原体験をお話ししていきたいのですが、その前に、そもそも「子どもに優しい教育」とは何なのかについて定義しておきたいと思います。


​子どもに優しい教育とは?

ボクのいう「子どもに優しい教育」とは

その子が、その子らしく幸せに生きることができる場所
自分のことを深く知り、自分を好きになれる場所
自分な得意なことを伸ばせる場所
自分を表現できる場所
失敗を恐れず、自分の好きなことに没頭できる場所
自分の成長を実感できる場所
競走ではなく協働することを楽しめる場所

のことです。


たくさんありますが、一言でいってしまえば「幸せに成長できる場所」とでもいったところでしょうか。


では、なぜボクがその「子どもに優しい教育」をつくっていきたい!と思うに至ったのか。

先ほどお話ししたように、そこには2つの体験がありました。


中学校時代の野球クラブでの体験

一つは、中学時代に入っていた野球クラブでの体験です。

思春期にさしかかったばかりのボクにとってここでの体験は非常に辛く、今でも夢に出てくるほどの影響をボクに及ぼしています。


そこにあったのは
管理・強制・矯正・主従関係の世界でした。

監督、コーチ、先輩へは絶対服従の世界。どんな理不尽なことがあろうとじっと我慢し続けなければいけない、そんな世界でした。


髪型から服装、食べ物に至るまで全てに指示が出されました。


自主的な行動のはずの「努力」も強制させられました。毎週、素振りをしてきたのか確認され、手に豆ができているかまでチェックされました。

プレーに対しては、ダメ出しが基本。失敗した時は、「死ね」「消えろ」などの罵詈雑言を浴びせられ、暴力も当たり前のように行われていました。

そこには「人権」の「じ」の字もありませんでした。

常に他者との比較がなされ、仲間だったはずのチームメイトもみんな敵に見えるようになりました。


多感な中学3年間をそんな環境で過ごしたボクは、心身が崩壊しそうなほどに疲弊し、大好きだったはずの野球も、テレビでプロ野球中継が流れているだけで吐き気がするほどにまで拒絶するようになっていました。


逃げることは恥とされ、ひたすら耐え抜いた3年間でした。


それから時はたち、ボクは小学校の先生になりました。


もう一つの体験はその時のものです。


小学校教員としての体験

いつしか夢見るようになった小学校の先生

しかし、現場はボクが思い描いていたものとは大きく違っていました。

学級という一つの集団を任された先には、管理職や同僚からの厳しい目が待っていました。


そんな現場でまず叩き込まれたことは

「授業中は静かにさせろ」「給食は完食させろ」「子どもには敬語を使わせろ」「返事、あいさつをしっかりさせろ」「廊下は二列で静かに歩かせろ」「筆箱の中身を統一させろ」「授業中は下敷きを使わせろ」「朝は読書をさせろ」「宿題をやらせろ」・・・などなど

全てに共通していたことは、子どもを「管理・統制」することや「主従関係」を植え付けること、「努力」を強制することでした。


教員になりたてだったところのボクは、「先生とはそういうものだ」と考え、順応するようになりました。


一生懸命に働き、1日の平均睡眠時間は4、5時間程度

とにかく、一人前の先生になりたいと考えていたボクは上記のことを完遂するために必死で子どもの管理の仕方、主従関係の植え付け方を学んでいたように思います。

細かなルールで縛り上げ、子どもが失敗したら叱責し、勉強を強制していました。

つまり、中学時代に自分が大人から受けてきた辛い経験を、大人になった自分が子どもたちに与えてたのです・・・!


しかし、そんな管理主義的な教育を実践してきたボクの目を覚ましてくれる出来事が起こります。


それは

「学級崩壊」です。


子どもたちは、ボクの管理主義で高圧的な態度に反旗を翻しました。


敵を見る目でボクを睨みつけ、ボクの指示を完全に無視するようになりました。

そんな、子どもたちに対して、ボクはさらに高圧的な態度で自分のコントロール下におこうと必死にもがきました。

もちろんその選択は完全に間違いで、さらに子どもたちの反抗的な態度を頑ななものにしていきました。


「管理・強制」することしか学んでこなかったボクは、どうしていいか分からず、精神的にも肉体的にも疲弊しきっていきました。


そんな時

中学生だった頃のボクが自分の中に現れ、次のように語りかけてきたのです。

「お前だって、こんな教育嫌がっていたじゃないか。なんで同じことしてるんだよ!お前が変えろよ!」


その言葉で、ボクは完全に目を覚ましました。

「ボクがやりたかったのはこんなことじゃない!ボクのように苦しむ子を1人でも減らしていかなきゃ!子どもが幸せになれる教育をつくらきゃ」

そんな思いで、必死に勉強して「いい教育とは何なのか」を探究するようになりました。


そしてたどり着いたのが、「子どもに優しい教育です」

子どもに優しい教育を実現するために、ボクが「これだ!」と思ったものは周りになんと言われようと実践していきました。そして、子どもがその実践の是非について答えをくれる。そんなサイクルを回すようになりました。


ボクが実践してきたことはブログにまとめているのでよろしければどうぞ↓


しかし、そんなボクも先生を辞めることに・・・。


これから

「子どもに優しい教育」を実現するために、たくさんの実践をしてきたボクでしたが、先生を辞めるという決断をすることになります。

それは、諦めといったネガティブな選択ではなく、本当に「子どもに優しい教育」を実現したいというポジティブな選択でした。

母体が大きく、旧態依然の教育観が根付いている今の学校現場では、自分の目指す教育を実現するのは難しい!

組織から解放され、本当の意味で自分の目指す教育を形にしていきたい!という思いからの決断でした。

まずは、ボク自身が

自分が、自分らしく幸せに生きることができる場所
自分のことを深く知り、自分を好きになれる場所
自分な得意なことを伸ばせる場所
自分を表現できる場所
失敗を恐れず、自分の好きなことに没頭できる場所
自分の成長を実感できる場所
競走ではなく協働することを楽しめる場所
 

を体現することからスタートです!


このnoteをはじめようと考えたのもそんな思いからです。ブログやTwitterでも、自分を表現する場、競争ではなく協働を楽しめる場として活用させてもらっています。

同じ志をもったたくさんの仲間とつながっていけることを楽しみにしています。

そして、必ずや「子どもに優しい教育」を少しでも多くの子どもたちにプレゼントできるように頑張っていきます。



最後までお読みいただきありがとうございました !


良い1日をお過ごしください。

以上、ガクせんでした。

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