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子育てにおける本当のリスクとは?

「危ないからやめなさい!」
「汚いから触っちゃダメ!」
「そんな友達と付き合っちゃダメ!」

親はもちろんのこと、子どもと関わる人ならば一度や二度はこのような「禁止の言葉」を使ったことがあるのではないでしょうか。

正直、ボク自身、教員生活の12年間で星の数ほど使ってきました・・・。


このような言葉は、少しでも子どもの体や心が傷つくリスクを減らしてあげたい、子どもを守りたいという思いから出てくる言葉であることは間違いありません。

しかし、そのような禁止の多い過保護?な環境で育った子どもたちは将来どのように成長していくのでしょうか。

先日ボクはこのようなtweetをしました。

では、過剰な禁止によりどのような力が削がれていくのか、一緒に考えていきましょう。


たくさんの禁止にかこまれて育った子どもたち

ここで少し、ボクの話をさせてください。

ボクは小学校教員として、12年間働いてきました。

最初に勤めた学校はそれはもう禁止の多い学校でした。○○スタンダードという名の学校のルールが何ページにも渡って記載された冊子が存在し、年度当初に各家庭、各学級に配られるのです。

そこには、挨拶の仕方から歩き方、筆箱の中身まで事細かに書かれていました。

もちろん、そのスタンダード(ルール)を作るにあたっては

✔︎子どもが怪我をしないように
✔︎子ども同士のトラブルを減らせるように
✔︎子どもが安心して過ごせるように

という、少しでも子どものリスクを減らしてあげたいという先人の願いがあったことでしょう。


しかし、そこには大きな落とし穴があったのです。


本当のリスクとは?

その学校でまずボクが感じたことは

「子どもの生きる力が弱い!」ということでした。

弱さと一言で表現しましたが、そこには様々な弱さがありました。


考える力が弱い

何をするにも「先生これやっていいですか?」と確認しにくる子どもの姿
「○○しちゃいけないんだよ!スタンダードに書いてあるもん」と指摘し合う子どもの姿

がそこにはありました。

つまり「自分の頭で考える」という一番大切な過程が完全に抜け落ちていたのです。

「スタンダードに書いてあるから」これは一見わかりやすく、物事をジャッジする上でも便利な言葉です。

しかし、「そのルールはなぜあるのか?」を根本から理解していない子どもたちにとって

”ルールは上から与えられるもの、従うべきもの”
という認識にとどまり

”ルールはお互いの自由を尊重するために、みんなでつくるもの”
というルールの本質を捉えることはできていないのです。

「スタンダード(ルール)に書いてあるから廊下は走らない」

「自分も相手も気持ちよく生活できるから廊下は走らない」
とでは雲泥の差があります。

つまり、最初からルールがあることによって、子どもは考えることをやめてしまうのです。


心が弱い

「危ないからダメ」「汚いから触るな」と禁止をたくさんされてきた子どもはどこか臆病でした。

おそらく、たくさんの禁止が世の中は怖い場所という認識をつくり出すのでしょう。なので、そのような子は些細なトラブルでもすぐに心が折れたり、かすり傷一つで大きな声で泣いたりします。

一般的に些細な事と言われることでも、その子の脳は「緊急事態!緊急事態!」と赤色灯をぐるぐると回してサイレンを響かせてしまうのです。

つまり、たくさんの禁止は子どもの過剰反応を引き出し心を弱くしてしまうのです。


体が弱い

また、たくさんの禁止を与えられてきた子は、高いところに登ったり、飛び降りたり、走り回って転んだりといった経験が少ないです。

そのため、運動能力も育っておらず、転んだ時に手が出ない子もいました。

ルソーのエミールでは、

子どもは駆けたり、跳ねたりして日に100ぺんも転ぶだろう。 それでよいのだ。 彼はそれだけ早く起き上がるだろう。自由であるという安楽さは傷を償ってもあまりある。
引用:ルソー「エミール」より

と述べられています。

つまり、多少の怪我も含めて、体験することでしか人は本質的な学びはできないのです。

また、そのような駆けたり、跳ねたり、転んだりといった身体運動をしてこなかった子は、筋肉はもちろんのこと、骨も脆く、転ぶとすぐに骨折してしまいます。

多少危険と思われても、全身を使っていろいろな動きを体験をすることは、体の健康面から見てもとても大切な役割を果たしているといえるでしょう。

その機会を大人の都合で奪うのはあまりにももったいないことなのです。


まとめ

禁止することのリスクについて考えてきましたがいかがだったでしょうか。

もちろん、命に関わること、人権に関わることに対しては断固として禁止していく姿勢は大切です。

しかし、あらゆる障害を排除し、無菌室のような環境で育てられた子どもは抵抗力を失い、とても貧弱な人間になってしまいます。

それこそ「最大のリスク」だということを我々大人が認識していくことは非常に大切なことです。

失敗を含めた体験は最大の学びの機会であることを我々大人が再認識する時にきています。

失敗する、怪我するとわかっていて見守るのはとても難しいことですが、それをできる大人は真の教育者なのだと思います。


そして、最後に、学校の先生が子どもに失敗をさせることに保護者や世間は寛容であってほしいと思っています。

先生は、どれだけ失敗することの大切さを知っていても、厳しい保護者の目、世間の目に縛られると実行できなくなってしまいます。その結果がボクが見てきた禁止まみれの学校文化なのかもしれません。

子どもにとって何が大切なのかを考え、子どもが幸せに成長できる教育環境が醸成されていくことを願っています。


以上、ガクせんでした。

良い1日をお過ごしください。

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