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サレ妻は「愛され妻」なんか目指さなくて良い / サレ妻目線のメンタルケア

「夫婦再構築」とか「夫婦関係修復」関連の記事によく出てくる「愛され妻」というキーワード、私はとても危うい言葉だなと思っています。
というか、私もその言葉に翻弄されてきましたが、時間の経過とともに冷静になれて「危うい」と感じるようになりました。


「愛され」を意識すると自分を見失う

「愛され」という受動態の状態を目指すということは、常に夫の反応を気にしているという状態ですよね。

  • 夫はこうしたら喜ぶかな

  • こんなこと言ったら夫に嫌われるかな

  • 今の反応は、喜んでるっぽい!

  • 今の反応は、嫌がってるっぽい…

  • 私はこんなにやってるのに、何も反応が無い!?

更にサレ妻の場合は、自分に女性としての魅力が不足しているのだという劣等感があるので、愛されることを意識すると変な方向に努力をしがち。

  • 最近身なりに気を遣ってなかったし、オシャレしなきゃ

  • 下着もババ臭いのしてたから、セクシーなの身につけなきゃ

  • ミニスカとか履いてみちゃう!?

  • 可愛い女でいなきゃまた不倫されちゃう。笑顔笑顔!

  • 不倫のキッカケは寂しかったからだと言ってたから、夫を意識的に褒めるようにしないと!

夫の反応に一喜一憂。夫の反応に怯えているとも言えます。
こんな状態だと夫に振り回させているのと同じで、疲れてしまいます。私は疲れ果てました。
サレて傷ついた自分を、更に傷つける行為だったと思います。

夫が妻のことをどう思うのかは、夫自身にしか分かりません。
言葉で何か言われたとしても、それが本音かどうか分からない。不倫するような人は巧みに嘘を付きますからね。
夫自身でさえ、どうされたら妻を裏切らずにいられたのか明確には分かっていないのかもしれません。
それなのに妻側は「きっとこれがいけなかったんだ」「きっとこうすれば良いんだ」と愛されるために仮説を立て、上手くいかない現実にぶちあたって苦悩する。
愛され妻を目指すと、負のループに陥ってしまう危険性があります。


自分に愛される自分を意識する

私は最近「今日の自分は好き?」というテーマで簡単な日記を書くようにしています。
「引き出し日記」というアプリがあって、つぶやき感覚で書けるところが気に入っています。ハッシュタグでテーマをまとめられるので、後から見返すのもやりやすい。

例えば「オシャレしなきゃ」という意識が夫由来のものではなく、「自分がオシャレでいたいからオシャレしてみようかな」だったら、自分を好きになれる。
「可愛く見られたいから笑顔でいなきゃ」じゃなくて、「笑顔の女性を素敵だと"自分が"感じるから、自分も笑顔を心がけよう」だったら自分を好きになれる。
目標とする人の写真を見える場所に貼るとダイエットに成功するとかいう説がありますが、そういう感じですかね。「なりたい自分ならきっとこうするはず」という視点で考えてみるんです。

残念ながら、夫はいつか離れて行ってしまうかもしれない存在
サレ妻であろうとなかろうと、離婚の可能性は常にある。
こちらがどんなに必死に繋ぎ止めようとしても、ダメな時はダメなんです。

でも自分自身は自分から切り離せない
例え夫が自分の元から去っても、愛する自分がいれば大丈夫。

夫に合わせてカスタムされた自分なんて、他の人からみたら魅力的じゃ無い。でも愛する自分でいられたら、離婚したとしてもまた自分を愛してくれる別の人が現れるかもしれない。

私は元々自己肯定感が低い人で、自分を愛するなんて出来ないって思っていました。特にサレてからは、自分を否定することしかできない状態になりました。
「自分を愛しましょう」とかいう言葉に気持ち悪ささえ感じていました。

でも、最近ではその「必要」があると感じています。
このままでは自分がどんどん嫌な人間になっちゃう。
夫に振り回されている自分は、どう考えても、誰の目から見ても、「近付きたく無い人」に向かっていくだけ。
もしそこで離婚となったら、嫌な自分だけが残ってしまう。
そんなの絶対嫌。そう感じるようになったんです。

この考えを、サレた直後の自分に言っても聞く耳を持てなかっただろうなって思います。
時間をかけて、沢山もがいて疲れ果てて、やっとここの重要性に気付けた。
今はまだ気付けただけで、実行し続けることが一番大事ですから頑張ります。
一緒に、頑張りましょう。

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