皮膚感覚に従う
以前にも書いたような気はしますが、取り敢えずは確認せずに書いて行こうと思います。なぜなら、これは考えたり調べたりしている間に変わってしまいそうな気がするから。
と言っても、決してオカルト話の類のようなものではなくて、誰にでもある普通の感覚。
ところが若いとどうしてもその感覚よりも頭で考えたことを優先してしまう。
世間体やら体裁。仲間内からどう見られるかとか、異性の視線だったりと。とにかく自分が肌で感じているモノのことなんて横に置いて、頭であれやこれやと考えてしまう。
そうしている内に体が感じていることなんてどこかへ消え失せてしまい、頭で考えたことにすっかり支配されてしまう。
「変な色気を出す」とか「つい欲張ってしまった」といった失敗の原因がこれで、「何でだろう?」と理由を考えても深みにハマるだけで、ちっとも物事が解決に向かわない。
格好つけた考え方をすれば、そういう若い頃の経験が大切なんだ。そう考えることもできる。
それが正解なのかどうかはわからないが。
とまあ、そんな若い頃の失敗体験のことと、年を取ってからの皮膚感覚を逃さないよう心がけているということ。
この2つを改めてその "感覚" が認識したのでこうして文字起こしをしている次第です。
発端はとある動画を視聴していた最中。そんな様な話が動画の中で語られていて、「あー!そうそう!それそれ!」という感情と共に、「文字起こしをしよう」という気持ちが湧き上がってきたので、気持ちと感覚が冷めない内にキーボードを叩いています。
私の若い時。特に子どもの頃の話なんてわかりやすいかもしれませんね。
よくあるパターンとして、見たいアニメを見ていると、トイレに行きたくなってきた。
まぁ子どもだと殆どがトイレを我慢してアニメを見続けるんじゃないでしょうかね。私はそうでした。
でもこの行動。体からの声を無視しているってことになりませんかね?
大人になれば「付き合いで」というパターンがありますか。
「今盛り上がっているから」ということもありました。
頭ではそう考えているんだけど、体のほうでは「NO、今それより大切なことがあるよ」と言っているとき。
こういう "声" を無視していると、段々と勘が鈍くなってくる。
人間は必要とされない機能はどんどん衰えていってしまう。
トレーニングで鍛え上げた筋力は、トレーニングを止めれば必要がなくなってしまう。
それに似たようなことが皮膚感覚でも起こっている気がするんですよね。でも若い内は無理だった。
40後半くらいになってくると変わってきた。
若い内にそこへ到達している人もいるかもしれませんね。
それが正解かどうかわかりませんが。
勢いでザッと書きましたが、これも感覚を捉える良いトレーニングになるんじゃないかと感じています。
それが何の役に立つのか?
今のところ言えるのは、頭であれこれ考え込むよりも、楽に生きられることは実感としてあります。
あ、無計画さやノリで行動することとは違いますからね。
「あ、なんかコレだ」という、ある種確信みたいな内から涌いてくるモノなのです。