せっかく書いた卒論、ゼミの人と教授にしか見てもらえないの悲しいので公開チャレンジに乗っかって見たいと思います。 誤字がちょいちょい入ってるのですが直す前のやつなのでそこだけ暖かい目で見てくれると嬉しいです😌あとそのままテキストはっつけたので体裁悪くて読みづらいですすみません>< 何言ってるのかわからないとか軸がブレすぎるとかいろんなコメントもらえたら飛び跳ねて喜びます。 題名:夫婦・家族の変容する理想像--『道草』と『消滅世界』を比較して-- 目次 はじめに
TwitterやFacebookやInstagramなんかをみてるとキラキラしたもので溢れている。 テレビなんかのマスメディアもそうなりつつあるのかもしれない。 嫌いなものをきらい。と言えないとき。 不快なものを許容するというもので覆い隠そうとするとき。 受け入れられない事象を受容しろと言われてるような感覚。 なんとなく、キレイに生きていかなければ、ノイズを消していかなければ、そんなことをどこか縛られてるような気がする。 こんな人もこんな素晴らしい生き方をしていま
水野しずさんのブログがすごく好きで、っていうわけではないんだけどたまたまTwitterで回ってきた記事の言葉を私はむちゃくちゃ刻んでる。 "認めない。お前の社会から疎外される性質を切り取って名前をつけたものをお前だとは絶対に認識しない。そんな人間私の脳からは消してやる。” 水野さんご自身、障害を持っていらっしゃるらしいのだけどそんな水野さんの「ファン」の一部から届くメールを取り上げた記事から抜粋したこの言葉。メールの一言目に「自分は発達障害で」、「統合失調症を患っていて」
”私”を突き動かすエンジンはいつも「怒り」だった。 親への「怒り」。先生への「怒り」。学校、世の中の規則への「怒り」。人の不条理に対する「怒り」。 いつも何かに怒っては、それを原動力に地面を蹴り上げて走ってきた。 いつしか私は気づいてしまう。 「怒り」は確かに私を強くさせたし、エンジンになってくれたけどそんなもの振りかざしてぶつけたところで何も変わらないことに。 未熟な知識と若さが持つ勢いが反比例するように空回っていたことに。 たくさんの人に出会って、憎しみさえ持
変わることが怖いんじゃない。 変わろうと思った先で結局何にもなれない自分を直視するのが怖いんだ。 自分を否定するのは痛いけど簡単で楽なことを私たちは知っている。人の痛みがわかっているふりをして、自分を責めていれば他人から敵意を向けられなくていい。周りからの「そんなことないよ」という言葉に安心できる。 誰からも否定されず、自分で自分を傷つけて周りから与えられる甘い言葉に慰さめられればそれで私は満たされているような気がしていた。 でも私たちはいつか気がつく。そのままじゃ何
平昌オリンピックがいつのまにか始まってた。 別にオリンピックをワクワクして見るタイプでもないし、それよりもゲームしたい欲が勝るから今回も朝のニュースでいろいろ知ってるっていう程度。 そんなニュースで高梨沙羅選手が銅メダルを獲った、という一報を見た。 同じ日本人選手と抱き合い、メダル獲得に喜んで涙を流す高梨選手を見てふと、4年前のことを思い出した。 4年前。 高梨選手にとっては前回、4位に終わったオリンピック。 私にとっては、大学受験の推薦に落ち一般受験に向けて勉強らし
普段、わたしは力強く地面を蹴り上げている。 別に好きではないけどなんとなく周りに馴染む服を着て、貧相な顔を少しでもまともに見せるのために化粧をして。 そして、短い太い足を隠すために高いヒールを履く。 物心ついたときから東京に住んでいて嫌でも街並みは永遠キラキラしていた。そんな街並みに反抗するように中高生の頃はポケットに手を突っ込んで下を向いていた。 着飾ってキラキラしている女の人が苦手でそんな女の人をチヤホヤする男の人も苦手だった。 ロンファーはいつも地面と喧嘩をし