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【スタッフインタビュー①】当事者であり、支援者でもある私〜山口莉絵さんの場合〜

こんにちは! 不登校を乗り越えた経験者が運営するNPO「家庭教師のYURUMI」 編集部です。

今回は、普段noteの記事やメールマガジンなどを執筆している、弊編集部スタッフの山口莉絵さんにお話を伺いました!
小中高とずっと不登校気味だった莉絵さん。回復の転機は、大学で「不登校になったこと」で──今も当事者として悩む傍ら、支援者として活動し続ける、彼女ならではの覚悟にも迫ります。

山口莉絵(やまぐち・りえ)
東京大学に入学後、2年休学し、その後復学。
現在、東京大学文科三類2年
YURUMI編集部所属/オープンダイアローグのみ参加

1.自分自身も苦しみながら、人の支えに

──莉絵さんは、小中高とずっと不登校「気味」だったと言います。「いつも何かしらあったんですよね」と過去を振り返りました。

「小学校の頃は、いじめに遭ってました。周囲とのコミュニケーションが難しかったからだと思います。一人っ子で大人に囲まれて育ったのもあり、周りと使う『言葉』が合わなくて、会話中に突然親が使ってた四字熟語とかを言っちゃう。それで、宇宙人呼ばわりされました。

あとは、よく言えば正義感が強く、悪く言えば我が強いので、自分の意思を曲げなかったんですよね。『仲間に入りたいなら、〇〇ちゃんをいじめてきて』みたいなのもあったんですが、『そんなことするわけないじゃん』とか言い張って、結局いじめられる。

中学校ではいじめには遭わなかったと思うんですが、やっぱり周りからちょっと浮いてたなって感じですね。当時は親との関係も悪かったからストレスがすごくて、不眠と拒食症を併発してました。高校もまあ似たような状況です。

そんな感じなんですが、学校には休み休み行ってましたね……部活や委員会で責任ある立場になることが結構多かったので、その責任感だけで通っていた、みたいな……」

──元々は気が強かった莉絵さん。ですが、様々な要因から、内心はボロボロになっていきました。

「もちろんいじめとかもしんどかったんですが、親の影響も大きいです。決して愛されていないわけではないんですが、うーん、過干渉というか、私に依存しているというか……

『学校でひとりぼっちなのはやめて、私が辛いから』って言われたときは、結構きついものがありましたね。別に私のせいじゃないのに、親の辛さも背負わなきゃいけないのか、と。私だって苦しいのに、さらに親に自分の感情を押しつけられて、『なんとかしてよ』と言われるのが辛かった。

あとは、私は実はマイノリティ属性を多く背負っていて……どうやら『ADHD・HSP・Xジェンダー・バイセクシャル・ポリアモリー』らしくて。詳しく語ると長くなっちゃうので省略しますが……とにかく、普通の人と同じように過ごしているのが辛くて。小さい頃はその違和感を言語化できなくて苦しみました」

──苦しい思いをしていた莉絵さんですが、「昔は自分が苦しいとは思っていなかった」と言います。「だから、自分より苦しんでいる人を助けたかった」とも。

「小中高と、周囲に不登校の人や鬱の人、いじめられている人がそこそこいたんです。だから自分が苦しいってことに気がついてなくて……あと、正義感が強い方だったからか、苦しい状況の人から頼られることも多くて、なんとか助けたいと思っていました。それで余計に無理しちゃったところはありますね……。

ただ、もちろん悪いことばかりではないです。小学校の卒業式で、友人とそのご家族さんに『あなたのおかげで学校が楽しかった』って言われたのは今でも思い出します」


2.回復のきっかけは、「不登校」だった

──積もり積もったストレスが爆発したのは、大学一年の頃でした。「入学直後、ついに学校に全く行けなくなりました」と莉絵さんは語ります。

「それまでは、死ぬ気で通ってたんです。高3の頃はもはや留年ギリギリでしたけど、週3回は行こうとか、この授業は行こうとか、それなりにコンスタントには通っていました。

ただ、大学に入って、全部から解放されたんです。部活も委員会もなくなって、高校の友人の面倒も見なくなって、受験も終わって、……そしたら、糸が切れちゃいました。朝は起きられなくなり、そのうち体も動かなくなって、毎日、泣いて過ごしました」

──莉絵さんのその状況を打ち破ったのは、健康診断で出会った一人の医者の判断でした。

「健康診断の時は、まだ元気いっぱいだったんですけどね。健康診断の日の朝、吉祥寺で遊びまくってたくらいですし。でも、健康診断で出会った先生に『今すぐ精神科の予約を取りなさい』と言われて。

有無を言わさず、学内の精神科の予約を取らされました。一刻も早く、と言われて、なるべく早い回に入れてもらって……そしてなんと、その診察の頃にはもうすでに不登校だったんです。間一髪でした、本当に。

その後、学内の精神科にはたくさん助けてもらいました。この人たちの前では元気なフリをしなくていいんだっていう安心感で何度も泣き、何度も励ましてもらって。その過程がなかったら、今の私はいません。

結局、療養のためにほぼ丸2年休学しましたが、間違いなくそれが回復への一歩だったと思います。今も別に寛解はしていませんが、将来に向かって少しずつ頑張れているので」

──将来の夢についても尋ねました。「まだまだ先は読めませんけどね」と苦笑しつつ、「自分と似た境遇の子の支えになれたら」と話します。

「私自身、今も鬱やらADHDやらを背負っているので、実は大学さえ卒業できるか怪しいんですよね……。家庭教師は引き受けていないのも、そういう理由です。オープンダイアローグは頻度が低いのでできるんですが、毎週コマを持つのは体が持たなくて。

でも、自分と同じ境遇の子が少しでも生きやすい社会を作れたら、ということは常に考えています。自分の苦労が無駄になってほしくないというか……それで今、こんな形で働いたり、あとは実は学生団体を立ち上げたりもしています」


3.YURUMIで働くときに気をつけていること

──当事者として、そして支援者として生きてきた莉絵さん。その経験に基づき、「当事者にとって一番大事なことを、見失わないようにしている」と話します。

「結局、私たちとしては、皆さん、特にお子さんが幸せになってくれればそれでいいんですよね。でも、支援者として誰かを支えてみると、どうしてもそれを忘れちゃうときってあるんです。原因を追い求めたくなったり、より良い選択肢を提示したくなったり。

ただ、苦しんできた当事者としては、『あなたが幸せになってくれたらそれでいい』と思い続けてくれる人の存在はとてもありがたかったです。私にとっては、それが学内の精神科の先生たちだったんですよね。以降、私もそのことを見失わないようにしています」

──莉絵さんは、YURUMIの編集部としても活躍されています。「言葉はものすごく大事にしていますね」と語ってくれました。

「もう一つ気をつけているのが、言葉の使い方です。言葉って重たいんですよ。誰かが何気なく言った一言で傷ついたことや死を考えたことも山ほどあるし、私自身、何気ない一言で誰かをものすごく追い詰めたこともあります。

だから、話すときも書くときも、常に『この言葉は誰を傷つけうるか』ということを気にしていますね。特に記事を書くときは、『自分の書いた一言で誰かが死ぬかもしれない』という覚悟を持って執筆にあたるようにしています」


4.今、不登校で苦しんでいるあなたへ

「『苦しいことを、申し訳ないなんて思わないで』と言いたいです。ただでさえ苦しい思いをしているのに、そのことを周囲に謝る必要なんて全くないですよ。

あなたが少し安心できて、つらいんだ、苦しいんだって吐き出せる場所があったら私は嬉しいです。もし今そういう場所がないなら、私たちがそんな場所になれたらいいな、と思います。

そして、幸せになるために必要なことはなんでもして欲しいです。学校を休んだり、泣いたり、好きなことをしたり……その時間は間違いなく、あなたの支えになりますから。

私はこういう活動をしているので、よく『あなたみたいには頑張れない』と言われます。それでいいんです。私は『誰かのために頑張る』ことで自分を保てるからそうしているだけ。あなたはどうか、あなた自身が幸せになることをして欲しい。

そしていつか、あなたが心から幸せになってくれたら、とっても嬉しいです!」



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