見出し画像

タイトル未定。


私たちはひとつ。
「個別化」する事によって
この世界を体験できる。
そのために個別になっている。

「私」以外には、今は“なれない”。
詳しく言うと、私以外の“意識”には“今”は、なれない。
でも、元はひとつだ。
“個別”があるから“全体”がある、からである。
“それ”を個別化した「私」が理解する事も思い出す事もできるゲームのような仕組み。
ここはそのゲームの「場」だ。

ひとつの画が、浮かぶ。
この体も、自分だけが出入りしてるわけじゃないかもしれない。
私は、「私」しか知覚できない「場」にいるから「他」が分からないが、「他」がこの体に入っている可能性だってある。
体の細胞の原子核に意識があるとすれば、それにはこの「私」は、なれない。
だが私の意識の指示の元、それぞれの細胞が働き、それを瞬間瞬間請け負ってる。
なぜならそれは、元々“私”だから。
“ひとつ”であるから。

いろいろな「意識」がこの”身体“を使って、眺めているのである。観察者は「私」だけではないのだ。
それは小さな細胞一つ一つそうだし、スピリチュアルで言うところの、守護霊や高次の存在、または何かのエネルギーのようなものだったりもする。
そして、「私」以外のあなた達も、「あなた」という「私たち」も、である。

その“もの”にも、なれる。
“なれない”から、“なれる”も存在している。
なぜなら“個別”であり“全体”であるから。

映像が入ってきたので言語化しました。
付け足していきます。
ありがとうございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?