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人をうらやむことは、ストレスそのもの

ルサンチマンとは、怨念のことだ。細かいことを言えばニーチェがどうたら、キリスト教の価値観がどうたらこうたらとややこしいらしいが、とにかく、虐げられたものが恵まれたものに向ける怨念がルサンチマンである。

芸能人のスキャンダルをネットで叩いたりするのもルサンチマンの発散だといえる。スポットライトを浴び、まわりからちやほやされている美男美女にたいして日ごろ溜めこんできた妬みを、このときとばかりに発散しているのである。

ぼくも、若いころはルサンチマンを抱えていた。アタマのいい人をうらやんだり、お金持ちのことをうらやんだりしていた。しかし、いまそういう気持ちはなくなった。フリーランスになって出世をあきらめたのがよかったのだろう。

ルサンチマンを抱えていたころのことを思い出すと、あの頃に戻りたいとは思わない。組織に属していたころは、同僚と酒を飲みながら「あいつは大した能力がないのになぜあのポストに就くのか」といったことを話しあった。しかし人をうらやむのは疲れるし、カラダにもよくない。ストレスそのものだ。

とはいえ、実はぼく自身、もともとあまりルサンチマンを抱えないタイプである。貧乏な生まれだし、幼少時に親からの虐待と呼べるようなものを受けている。また3歳のころに難病をして死の淵まで生き、知能と運動機能がやや落ちているそうだ(のちに医学論文のために精密検査を受けています)。そういうことを考えあわせれば、もっと怨念をためる人生でもよかったのだが、あまりたまっていないのは性格だろう。ちょっとバカなのである。

これは大人になったのちに母から言われたことだが、ぼくは幼少時に父親に折檻され、普通の子なら3日間は近づいてこないと思われる状況で、30分するとなにもなかったように話しかけてくるので「気持ち悪かった」といっていた(笑)。

そういう抜けたところがあるせいで、恵まれたボンボンのように誤解されることがある。そして、他人のルサンチマンを刺激してしまうらしい。心を許していた友人からへんなうわさを流されたり、だまされたりすることが若いころから多い。すでにこのnoteにも書いたのだが、10人の男性と出会ったらそのうち5人からは何かをやられるし、いまでは相手がどちらのタイプなのか初対面でわかる。

もちろん、自分にも原因がある。ぼく自身がむとんちゃくなせいで、他人のデリケートな部分を刺激してしまうのである。ただし、すでに書いた通り、それはぼくがめぐまれた人生を送ってきたからではなくて、単にアタマのネジが抜けているからだ。

この文章だって「自分にはあまりルサンチマンがない」などとあっさり書いてしまったが、ルサンチマンに苦しんできた人がこれを読めば「こいつムカつく」となって、あらたな恨みを買っている可能性は十分にある。

ただし、なぐさめもある。ぼくが尊敬しているある外国人がおり、その人は常人がおよそ耐えられないような過酷な人生を送ってきたそうだ。しかし、それでも人を信じやすく、若いころからしょっちゅうだまされている。そういう話を聞くと、「まあ、このままでもいいかなあ」とすくわれた気持ちになる。

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