見出し画像

止めるのは最後の最後でいい

かつて近所にプラモデル専門店があった。田んぼの中の一軒家で、開いている日もあれば閉まっている日もあり、閉まっている日の方が多かった気がする。週に二日くらいきまぐれに開けているようにみえた。おそらく持ち家で、人件費も要らず、気ままに商売をしていたのだろう。ただし、客が入っているところを見たことはない。

数年前のこと。前を通りかかると店は閉じていた。なぜ止めたのかはわからない。繁盛しなかったからなのか、店主の健康状態がよくなかったのか。

それからさらに数年がたち、今、コロナ禍の巣ごもり需要でプラモデルが大人気である。生産が追いつかないというニュースを聞く。模型屋は脚光を浴びている。

閉店を決断したころは、プラモデルに未来はないと思ったのだろう。こんなことになるとは想像もつかなかったはずだ。でも、想像もつかないことがおこるのが世の中なのである。

「田んぼの中のプラモ屋」なんて、まさにコロナのためにあるようなものだが、出番が来る前に消えてしまった。

月に一回でも開けるとか、店舗は閉めてもオンラインで販売を続けるとか、在庫だけでも保管しておくとか、やりかたはいろいろあったはずだ。止めてしまったら終わりである。

街中で人を雇い、賃料を払っている店に対してはこんなことはおもわないけど、店を開けても電気代くらいしかかからない店にみえただけに、もったいない思いが強い。

とりあえず舞台を降りないことが大事だとおもう。

SNSもそうだ。Twitterもnoteもユーザーに維持費はかからない。がんばりすぎて燃え尽きるくらいなら、ぐっとハードルを下げて続けることを最優先すればいいのに。

ぼくも今はnoteに1000~2000字書いているけれど、きつくなったら500字に減らして、それでもきつくなったら2日に1回。さらに週1回にするかもしれない。それでも止めることは考えない。

続けていればどうにかなる、などと甘いことを言うつもりはないが、止めてしまえば何も起こらないことだけは確かだ。止めるという決断は、最後の最後までとっておいていいのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?