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世の中から普通が減っている。「普通のかつ丼」から考える普通とは?

今日は「普通のカツ丼」をつうじて「普通とはなにか」ということを深堀りしてみたい。

話しの流れとしては、まず

①ぼくは「普通のカレー」とか「普通のかつ丼」とか「普通のラーメン」が好きなんだけど、この手の「普通の○○」は絶滅の危機に瀕している

ということを書き、つぎに

②「普通の〇〇」が好きなのはノスタルジアではなくて昔からで、理由はたぶん一人暮らしが長かったから

ということを書く。そのうえで、

③食べ物にはたぶん2種類あって、交感神経に訴える(エキサイティングな)食べ物と、副交感神経系に訴える(ホッとさせてくれる)食べ物だ。そして「普通の〇〇」とは、八代亜紀の舟唄にでてくるような、飾り気なくホッとさせてくれる食べ物だった

ということになる。そして最後に

④民間企業ががんばればがんばるほど、世間にエキサイティングなものが増えていくけど、ぼくはごはんを食べる時くらいはホッとしたいので

お酒はぬるめの燗でよく
肴はあぶったイカでよく
カツ丼は普通のカツ丼でいい

というのが本日の結論である。

以上は25分くらいで組み立てたんだけど、ここ10年ほどぼんやり考えていたことが土台になっている。

なので、かなりソウルのこもったソウルフルな記事であり、10人中9人に途中離脱されそうな気がしたので、最初にあらすじをまとめてみました。

さて、この記事を書くことになった直接きっかけは、NHKの「クローズアップ現代」の「密着!サービスエリア 巨大市場の舞台裏に迫る」だった。

番組は、

高速道路のサービスエリアというと、食堂、レトロな感じ。懐かしいという方、いらっしゃるのではないでしょうか。

という風に切り出し、じつは

このサービスエリア、2005年の道路公団の民営化以降、大きく変貌していきます。

ということになり、その象徴が愛知県の「刈谷ハイウェイオアシス」なのだそうだ。

観覧車にメリーゴーラウンド、ゴーカートに、温泉。オープンから5年目には年間830万人が訪れ、テーマパークとしてディズニーリゾート、USJに次いで全国3位になりました。

ということで、景気が良くて結構な話なのだが、もちろん問題点も浮き彫りになっている。

SAは本来、運転で疲れた体を休め、ガソリンを補給して安全運転をうながすための場所だったんだけど、いまでは、「たのしかった。おもしろかった、でも疲れた」になりつつあるのだという。

交通量の少ない区間でガソリンスタンドの撤退もあいついだため二車線の路上でのガス欠停車も増えているという。安全運転という意味では本末転倒になってしまうのだが、この変化を感じている人は多いだろう。

かつてSAは「普通のかつ丼」を食べられる場所のひとつだったんだけど、そういうところはほぼなくなり、あとには大手チェーン店が入っている。あれが楽しいという人が多いとおもうけど、個人的には「普通のかつ丼」が好きだったんだよな。

「普通のかつ丼」のそっけない感じは、道路公団が運営していたからああだったらしい。たしかに、普通のかつ丼はどこかしらお役所っぽくて、市役所の食堂で出てきそうな感じなのだ。

今でも各都道府県の運転免許センターあたりでは食べられるんじゃないかな?なぜかというと、民営化されていないような気がするから。

すくなくとも10年前には埼玉県鴻巣(こうのす)市の運転免許センターで普通のかつ丼を食べることができた。それを楽しみして行ったんだから、まちがいない。

でも、その後無事故無違反なので、いまも食べられるかどうかはわからないけど、かつ丼を確認するために片道1時間半かけてセンターにいく気になれないし、第一それでは「普通」でなくなってしまう。

では、その「普通」とはなんなのか?たぶん、

ほっとしてリラックスする

ということだとおもう。副交感神経のはたらきなのだろう。名古屋ハートセンターによれば

自立神経には、からだを活動モードにする「交感神経」と、休養・回復モードにする「副交感神経」の2種類があります。この2つは“アクセル”と“ブレーキ”の関係にあり、状況に応じてどちらかが優位になり、からだのあらゆるはたらきをコントロールしています

自律神経と心臓の関係

ということだそうだ。そして高速走行転は時速100km前後で飛ばすのだから、ドライバーは神経をとがらせているわけで、つまり交感神経のアクセルも踏んでいることになる。

そしてSAで車を止め、副交感神経のブレーキを効かせて休養・回復モードに入るのである。それがかつてのサービスエリアだった。

でも今のサービスエリアは、おもしろさや刺激と向き合わなくてはならない場所に変化しつつあり、つまり神経のアクセルを踏み込む場所にかわっているわけだ。

ターゲットが、疲れたドライバーではなく、助手席や後部座席で居眠りしていた同乗者に移っているのだろう。そして食べ物も

どうです?特産品ですよ。

おいしいでしょう?

ほかでは味わえませんよ

てな感じでアピールしてくるので、ぼーっとはさせてくれない。

そうした時代の変化全体を眺めていて、ぼくが「普通のかつ丼」にもとめていたものがなんだったのかややわかってきたのである。「普通のかつ丼」は、たぶん「たべるときくらいホッとしたい」ということだった。

かつ丼に限らないが、もともと、大学の食堂みたいなところに午後2~3時くらいにはいるのが好きだった。昼間は混雑する食堂も、あの時間帯はむだにガランとしており、隅のほうで「ふつうのアジフライ定食」みたいなものをたべながら窓の外をぼんやり眺めていたものだ。一人暮らしで、一番リラックスできる時間だったのだろう。

いまでは一人暮らしでも一日中部屋にいて平気と言うひとが増えているはずだ。ぼくは一人暮らしではないけど、一日中部屋にいてもぜんぜん平気である。なぜかというと、ネットで世界につながっているから。

30歳を超えたころからネットの常時接続があたりまえになり、SNSに入り浸るようになり、部屋に1人でいるのが苦にならなくなった。

でも、ふりかえれば20代の頃は一人で部屋にいると孤独感と向き合ってしまって、落ち着けなかったのである。だからこそ、お役所感のある、ギラついていない大学食堂みたいなところにふらっと入ってリラックスしたかったのだろう。

つまるところ、僕の好きだった「普通のかつ丼」とは、副交感神経を働かせてくれる、とくに主張はないけどまずまずおいしい食べ物だったみたいだ。言い換えれば、競争していない食べ物であり、やたらと自己アピールしてこない感じが

店には飾りがないがいい

窓から港が 見えりゃいい

はやりの歌など なくていい

という感じ。ディズニーリゾートやUSJとは正反対なんだよな。

民間企業は、他社と競争し、集客に勝ってなんぼなので、いまやSAはテーマパークに追いつけ追い越せである。そしてドライバーも神経のアクセルを踏みこんで、その魅力に向き合わねばならない。

灯はぼんやりともりゃいい

かつ丼はふつうのやつでいい

という感覚は、淘汰され消えていくのだろうか。

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