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カリスマとは

メディアを通じてしか知らない人に対しては感情的にならないようにしよう

というのがぼくの座右の銘といったらおおげさだが、何十年にもわたって気を付けていることだ。

「メディアを通じてしか知らない人」とは、タレントもそうだし、タレント事務所の社長もそうだし、それから、政治家や凶悪犯なども含まれる。

被害者やその遺族が、犯人に腹を立てるのは当たり前で、殺意を抱いてもいいと思う。

ただし、犯人とは直接縁もゆかりもない自分が、テレビの前で被害者遺族と一緒になって腹を立てるようなことはやめよう、と思っているということだ。

ときどき誤解される

なんでこんなことを書くかというと、ときどき誤解されるからだ。悪いことをやった赤の他人に対して感情的にならないようにしているだけなのだが、それが

悪人を擁護している

みたいに勘違いされることがある。

たとえば、ヒトラー。
迫害されたユダヤの人たちが、彼を憎悪するのはまったく当然のことだと思うが、ぼくが一緒になって怒るのはちがう気がする。

歴史の教科書やNHKスペシャルを通じてしかヒトラーを知らない赤の他人として、なるべく冷静に観察したい。ところが、こういった態度が、擁護しているみたいにとられることがある。

ダースベイダーとヒトラーのちがい

こういう前置きをしたのは、こないだヒトラーをダースベイダーにたとえる記事を書いたことがあったからである。

あのときは、両者は似たような存在だと思っていたんだけど、あとで考えてみると、ヒトラーとダースベイダーは決定的にちがっていることに気づいた。

ヒトラーはカリスマだったが、ダースベイダーにカリスマは皆無である。これは重要なちがいだと思う。

ダースベイダーは全身黒ずくめで、「コーパーコーパー」という呼吸音をたてつつ、悪のフォースでかんたんに人を縊り殺すことができるが、これは悪い奴だというだけで、カリスマではない。

アナキン・スカイウォーカーとダースベイダーのちがいは、ジキル博士と ハイド氏のちがいと同じで、ジキル(善)にもハイド(悪)にもカリスマはないように、アナキンにもダースベイダーにもカリスマはない。

いま裁判で世間を騒がせている全身大やけどの凶悪犯にもカリスマはないし、秋葉原通り魔の男性にもカリスマはなかった。

一方、ヒトラーはカリスマがすべてだったともいえるので、カリスマと、善悪の議論はわけて考える必要がある。

善悪とカリスマは別

カリスマとはもともとキリスト教で「奇跡を起こす者」という意味だったそうだが、現在では、カリスマ的リーダーの意味で使われる。

カリスマ的リーダーは、国民を熱狂させ、心酔させてしまう。その言葉づかいや、表情や、雰囲気が、大衆の激情や偏見や怒りみたいなものに火をつけて燃え上がらせるのだろう。

一方、ダースベイダーはそもそも仮面をかぶっているので表情がわからないし、煽るようなしゃべり方もしないので、ぜんぜんカリスマではない。

小泉純一郎氏のカリスマ

カリスマといえば、小泉純一郎もカリスマ的な人物だ。

ぼくの理解している小泉元首相は、

無茶な不良債権処理を通じて、日本経済に取り返しのつかないダメージを与えた人

である。ただし、上にも書いたように、そのことに腹を立ててもどうにもならないと思っている。

こういう風に言うと「小泉や竹中を擁護するのかてめえ」みたいな誤解をされてしまうのだが、そうではなくて、善だの悪だのという議論をすると、カリスマの本質を見失ってしまうと言いたいだけだ。

大衆が心を揺さぶられたのは、小泉氏にわかりやすい人間的魅力があったからだ。彼は、国連でも大人気だったそうだから、そのカリスマは国境を越えていた。不良債権処理がどうの、郵政民営化がどうのではおさまらない話なのである。

小泉家の思い出

それで、思い出すことがある。

かつて俳優の小泉孝太郎氏が子ども時代の思い出を語っていた。父は国会議員なのでいそがしくてほとんどウチにいなかったけど、それでも父子家庭なので、5分でも時間があると、すぐ庭に出て

キャッチボールしよう!

というような人だったのだそうだ。

だから「いい人だ」というようなことをいうつもりはないが、こういうわかりやすい魅力みたいなものが、カリスマの根っこにありそうな気がする。

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