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メジャーな人ってタイヘン

メジャーな人ってタイヘンだな~と思うのである。

どの世界でも、メジャーな人が「ぐうぜんメジャーになった」などということはない。最初はたまたまラッキーパンチが当たったのかもしれないが、それだけで勝ち続けることなどできない。メジャーに残り続けるには、それ相応の鋭さ、才能が必要なはずだ。

しかし、ここでジレンマが生じる。「類は友を呼ぶ」であり、メジャーに残り続けるほどの鋭さを持つ人は、同じような鋭さを持つ人と、磁石のように引き合うだろう。そういう人たち同士で群れていれば、しぜんに高いレベルの技の応酬になり、一般大衆はおきざりにされていく。「わかる人にだけわかる」という世界に移行しやすいはずだ。

しかし、メジャーにとどまり続けている人はそうはならず、長期間にわたって大衆に刺さるメッセージや作品を発信し続ける。本来ならばもっとぶっ飛んだ最先端のこともやりたいはずだが、それはしないで大衆の歩調に合わせていく。ぼくなんか、想像するだけでもとてもムリ。だから、すごいことだな~とよく思うんだけど、一方で、そういうメジャーな人を「俗っぽい」とけなす人々がかならず出てくるのである。

専門家に多い。世間で売れている同分野の専門家を「あれは大衆に迎合しているだけだ」などと言う。アマゾンの書評欄にはそういうのが多いのでうんざりするが、たとえば、評論家  佐藤優さんが創価学会について書いた本にこういうアマゾンレビューを付けている人がいた(ぼくは浄土真宗大谷派なので党派的な応援をしているのではありません)。

彼の言説というのは、一般人の立場からしてみれば奇異に映るため、その特異性から人目を引くものが多いが、どちらかといえば俗説に類されるような内容のものばかりであり注意が必要である。

佐藤氏にかぎらない。この手の「一般人ならだまされるよね」的なレビューはあちこちに見られる。堀江貴文さんでも、中野良子さんでも、メンタリストDaiGoさんでも、売れている人の書評にはかならず「アタマの悪い庶民に向けて雑な本を出している」というレビューが付く。

では、一体あなたは何者なのでしょうか。” Amazonカスタマー”としてしか記されていないのでなんの手がかりもないが、佐藤氏を見下せるほどエライ人が、安全圏に身をかくして卑怯者のマネをしなければならないとすれば、よほど深~い事情があるのだろう。

残念ながら俗説の域を出ないただただ青臭いだけの内容である。流行に敏感であるということは息の長い問題を扱う哲学・思想界隈の流儀としては命取りであるということを、よく勉強するといいと思う。

「よく勉強するといいと思う」と説教をたれつつ、実名を出す程度の「流儀」を見せられないのも、やはり深~~いわけがあるにちがいない。

役人時代に身に着けた習慣から生活水準が落とせなくなってしまっている佐藤氏を肥え太らせる程度の豊かさで世界宗教などと寝言を言ってるのだから、おめでたい連中だとしか言いようがない。

「ただただ青臭い」佐藤氏が役人時代にクレムリンで「ゴルバチョフ生存」の報をつかんだときに、この青臭くないカスタマー先生は、どこで何をしていたのだろう。

くりかえすがこの手のレビューは佐藤さんにかぎらない。「人の背中に隠れて石を投げる自称賢者」を相手にしなければならないメジャープレーヤーは、タイヘンだなあとつくづく思う。

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