見出し画像

森喜朗という人

ちょっと時事的なことを書きます。

森氏が「余人には代えがたい」のはなぜなのか、という意見がいまごろになって出てきているので書いてみる。自明のことだと思っていたのでちょっと意外である。

直接お会いしたことがないのであくまで世間から見ている一般人の憶測だということはお断りしておく。ただし、みなさんと同じく、いろんな噂は聞いている。

「森の擁護か!」といってどうか感情的にならないでいただきたい。みんな知っていることを整理しておきたいだけだ。そのうえで辞任やむなしということになれば仕方がないだろう。身から出たサビだしね。

ぼく自身は、今回の失言騒動がなくても、千葉県知事選挙の候補者選びで、実に森さんらしい動き方をしているのがおもしろかったので、いずれ書いてみようと思っていたところだ。

***

森さんが失言の多い人だということは周知の事実である。。。失言というよりも一言一言が個性的すぎる。マスコミを通じて聞くと、ほとんどの発言が不適切に聞こえてしまうという稀有な才能の持ち主である。

しかし、それだけ不適切発言が多いにもかかわらず、総理にまで上り詰めたという事実は否定できない。

男性だから総理になれるというものでもない。総理になれない政治家の方が圧倒的に多いのだから。

森さんの武器は、やはり人望である。クセのある言い回しは、人間的魅力と表裏一体なのではないかなあ。なにごとも長所のうらには短所があるものだから。

森さんの人望がどういうものかというと、他者への細かな気づかいや、火中の栗を拾ってくれる心意気である。

サッカーでいえばセンターフォワードにちかい。敵のディフェンスを自分に引き付けておいて、周りの人が自由に動ける状況を作る。的(まと)になるわけだ。

今回のオリンピックは、止めたら止めたで叩かれ、やったらならやったで叩かれるはずだった。森さんは、世間の非難を全部「自分に向ける」ための的(まと)になるという立ち回りだったと思う。

引退間際だったからいくら叩かれても平気だ、という心意気もあっただろうが、政治家として最後の仕事への執着もあっただろう。

いずれにしろ、かれが辞めれば、かわりにだれかが五輪の顔にならなければならない。いずれ非難はその人に集中し、その後の政治生命の致命傷になりかねない。森さんはそういうところに敏感な人に見える。

おれはいくら叩かれてもいいから、そのあいだにお前らがゴールを決めてくれ、という心づもりだったのではないか。「らしいな」という感じである。

しかし、残念ながら叩かれ始めるのが早すぎた。しかも、毎度おなじみの失言ドリブンである。五輪開催問題のトリガーが起動する前に森叩きが始まってしまったのは本人の責任だが、困るのはまわりである。

森さんのやり方は密室政治だ。だが、今の時代はいくら周囲の人望を得ていたとしてもメディアで叩かれたら通用しない。

***

そういうわけで、人望だけで総理にまで上り詰めた人だというのが僕の森喜朗観です。いいか悪いかはわからないが、彼の密室政治が結果を出しているのはまちがいない。

今「森喜朗 人たらし」で検索してみたけど、元外務省分析官の佐藤優さんも似たことを言っていますね。

「我々外交官にとっては、森さんのやり方がベストでした。事実、森内閣では様々な交渉が動いた」のだそうです。

今でもプーチンと森さんは固い信頼関係で結び付いているそうだけど、それは森さんがプーチンを絶妙なタイミングで助けたからだという。

北方領土問題でロシアとの対話が再開したのも、外務省の力ではなくて、森さんの密室の個人技だったということは押さえておきたい。

千葉県知事選挙で、鈴木大地氏をおろしたのも森さんの一言だった。あれを森さん以外がやったら、遺恨がのこって泥仕合になっていたはずだ。

***

ただし、今回の女性蔑視発言は、リベラルな立場から見て容認できないものだろう。

彼を粛正すれば、ほかのオヤジどもも少しはおとなしくなるかもしれない。逆に、いま森さんを粛清しなければ、他のオヤジどもはのさばりつづけ、日本は、今後もジェンダー後進国の恥をさらし続けるかもしれない。

そういう意味では森さんの処刑もやむなしなのかも。

ただ彼には、あと一回五輪でサンドバッグになってもらうはずだった。だが、現在みずからの失言でサンドバッグになっている。うまくいかないものである。

あと一つ、円より子という元参議院議員さんが、今回の件で「キャンセルカルチャー」的な危惧を指摘している。女性問題活動家だけに説得力がある。重要な論点だ。

森さんを庇(かば)うつもりはありません。ただ、ジェンダーバイアスをなくしたいと言い続け、こういう連載もしている身ではありますが、ジェンダー平等に反するような発言といえども、それを封じ込める風潮に、私は抵抗を覚えます。「モノ言えば唇寒し」の状況になることのほうが怖い。

つまり、社会が失言を許さない、という風潮が強まりすぎて、率直で自由な議論ができなくなる方が怖いというフェミニストからの意見である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?