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明るくて元気なのが一番だと思う
世のなかには、なんの問題も抱えていないという人はたぶんいないんじゃないかな。みな、なにかしらあるように思うし、ぼくにももちろんある。
とはいえ、他人の苦労の深さはわからない。
自分の方がたいへんだというつもりもないは全然ないけれども、それでも自分の体験を通じてしか語ることはできないので、ぼくはこういう体験を経て、こういう風に感じるようになりました、ということを書きます。
明るくて元気なのが一番だと思うようになった経緯を書きます。だからあなたもそうしなさい、などというつもりはありません。どこかの誰かの参考になれば。
愚痴ではありません
さて、今、実家に帰って認知症の父親の世話をやっている。毎日いろいろあるけど、昨日はことさらにいろいろあって大変だった。
昼間は、下半身を便だらけにしたうえで、シャワーを拒否するので困った。介護の方にもかなり迷惑をかけてしまったし、予想していないところまで便が飛び散っていて、トイレの掃除は今日までかかった。
夜は夜で「電気レンジの調子がおかしい」と言いだしていきなりブレーカーのスイッチを切られてしまった。当然、僕のパソコンは瞬殺された。まあ、認知症患者を相手にしている人は、この程度のことは日常的に経験しているかもしれない。
ただし、ぼくがブレーカーを戻しても、さらに切ってくる。これ以上ブレーカーをさわらないようにともみ合いになった挙句に、かれが大声でののしりながらを蹴ってきたので、思わず蹴り返してしまった。これが悔やまれる。
もちろん言い訳はあって、パソコンを何度も瞬殺されてアタマに来ていた上で、不当にののしられて蹴られたのでプッツンきて、思わず足が出てしまった。専守防衛ともいえる。
けがはしていないようだが、とはいえ、そもそも体重差があるうえにこちらは格闘技の心得があるのでまったくフェアではない。手を出さないよう気を付けていたのに気づいたら蹴り返してしまっていたのが悔やまれる。二度とやりたくない。
ADHD
さて、ここまで読んだら認知症は大変だなあ・・という話で終わりそうですが、そういうグチではありません。
認知症自体はまあ、それだけのものだ。
それがいいたいのではなくて、最近、ひらめいたんだけど、ぼくの父親はおそらくADHD(注意欠如・多動症)だと思う。これは年齢とは関係なくて、幼少期からずっとADHDなのではないか。
このことに気づけたのが大きかった。遅きに失した感はあるけどわからないよりはましだ。
気づいたきっかけは、YouTubeであるる。最近「私はADHDと診断されました」みたいな人の動画を見る機会があり、その人の症状を聞いていると、よく似ていたのである。
野球のヘタな長嶋茂雄
具体的に記すと・・
まず①「忘れ物がものすごく多い」。これは若い頃からずーっとで、外に持ち出したものはだいたい無くして帰ってくるし、免許証も車のキーも、出かけようとするたびに、毎回(誇張なしで本当に毎回)家中を探しまわるのがつねだった。
②フラッといなくなる。
外出すると、数日いなくなることもしばしばだった。サンダル履きで港に釣りを見に行ったまま、3日帰ってこなかったこともあり、後で聞いたところでは、これからカープ戦を見に行くという人達にくっついてフェリーに乗って広島へ行っていたのだそうだ。
③相手の気持ちがわからない。
プレゼントをもらっても開けもせずテーブルの上に放置したままになっている。送り主の気持ちに答えようという気づかいがまったく起こらないらしい。
また自分の視点でしかものを見ることができないので、孫娘のプレゼントに青いプラスチックのバットを買ってきたこともあった。
自分が青色が好きで、野球が好きだから買ってきたらしいが、3歳の女の子が青色のバットを欲しがるのか?という視点からものをみることができない。
④会話のキャッチボールができない。
母の葬儀の時のこと。喪主は父なので葬儀社のスタッフは万事父にお伺いを立てるわけだが、何を聞かれても自分のおもいついた話をするばかりで、答えを返さない。だから一向に話が進まず、葬儀社の人が困っていたので、やむなく僕と弟が横から口を出してすこしずつ話を進めていったことがあった。
⑤は④に通じるのだが、人の話を聞いていない。
何を聞かれても自分のおもいついたことをしゃべるだけで、相手の話は聞いていない。
⑥注意力が散漫。
たとえばおしっこするときにも便器を見ず、どこかのワールドに行ってしまっていることが多いので頻繁に「的を外す」。いまなら認知症といわれそうだが、若い頃からそのままであり、かつて親戚から「便所をもう少しきれいに使ってほしい」とクレームが来て本人が激怒したことがある。
⑦怒りっぽい。
上記のように自分に非があっても激怒する。
かつてクルマを運転していたころは頻繁に接触事故を起こしていたが、自分の非を認めることはなく、静止した車両にぶつけても雨のせいや路面のせいにしていた。
・・てな感じで、もちろんぼくは専門家ではないし、正式な診断も受けていないので断定は避けるけど、以上の特徴はADHDの症状にとても近いということは言ってもいいように思う。
ADHDぽい有名人の代表としてよく名前が上がるのが元プロ野球選手の長嶋茂雄さんだが、我が家ではかねてから冗談交じりに父のことを
野球のヘタな長嶋茂雄
と呼んでいた。ただし長嶋さんから野球を取ったらただのヘンな人だけど。
いまさらわかってどうするのか
ウェブによれば、親がADHDだと子供は苦労するそうで
親と適切な距離を保つことが大切です。
などと書かれている。しかし、ADHDという概念が日本に広まったのは1990年代後半なのだそうで、それまでに子供時代を過ごした人は、親がADHDだとわからず、対処に困って苦しんだだろう。
いまさらわかっても遅いのである。
ただし、遅いとはいえ、良い面もないことはない。子どものころの自分を苦しめたもの正体がわかったことでモヤモヤが消えた。
かつてはそのストレスを人に説明しようとしても「乱暴な父親」という表現以外に言葉がなかったけど、これからは
親がADHDでね・・
といえばだいたい伝わるのでストレスがなくなった。さらに、
親がADHDの上に認知症でね・・
といえば、たいていの人からは同情を呼ぶはずだ。それもこれもネット上でADHDを公表してくれた勇気ある人たちのおかげです。感謝しています。ネットっていいものですね。
音楽はいい
とはいえ、昨日のように振り回されて疲れ果てる日もある。ぼくは映画が好きなんだけど、そんな1日の終わりにホッとさせてくれるのはじつは映画ではなくて、音楽なんですね。
映画を見る元気がなくても、音楽は聴ける。音楽をかけているとゆるゆるとこころがほぐれて、人間らしい気持ちが戻ってくるくるのでありがたい。疲れた体を温泉が癒すように、疲れた心にしみてくるのが音楽だと思う。ほんとにいいものだ。
かねてから尊敬している僧侶で千日回峰行を満行した塩沼亮潤大阿闍梨という人がいるんだけど、彼のYouTube動画の中で、息抜きは何ですか?と聞かれて
夜、ひとりの時間に音楽を聴いている時が一番いいですね
と答えていたことを思い出して、ほんどだよな~と共感している。塩沼さんはとくにR&Bが好きなそうだ。
元気で明るいのが一番!
そんなわけで、この記事のまとめに入って行くけど、今朝は昼までぼんやり横になっていた。そうすると、上記の塩沼大阿闍梨のYouTubeチャンネルから通知が来たのだった。13時から護摩修法のライブ配信をやるのだそうだ。
それで失礼ながら寝転がってぼんやり配信を見ていたんだけど、時間にして1時間弱だっただろう。見ているうちにだんだん元気が出てきたんですね。
なぜなのかわからないけど、塩沼さんの一挙手一投足に込められた気合。信者の願いごとが書き連ねられた護摩木をつぎつぎに炎にくべてまっすぐに立ち上がる炎をみているうちに、ようし!こんなことでへこんでいられないぞ、という気分になったというか。
どんなときでも明るくて元気なのが一番だよな
という気持が沸き起こってきて今に至る。
この気持ちを謝したくて書いています。ちょっと脈絡のとぼしい話になってしまったけど、あなたにたとえどんなことがあったにしても、元気のあるなしだけは自分で決められるはず。
もちろん、ぼくが想像できないような苦労を抱えた人もいるだろう。だから、ああしろこうしろとは言えないけれど、ぼくはすくなくとも、
親が何だろうが関係なくて、暗くなるのも、明るくなるもの自分次第
だと思える。暗さは暗さを生むし、明るさは明るさを生むので、少なくともいつでも明るく朗らかでいたい。
今日からいきなりなんつーのは無理にせよ、毎日1ミリずつがんばっていたらそれが1か月で3センチになるんですと阿闍梨様も言っていたので、毎日少しずつである。それだけは忘れないでいよう。
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