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日本人の勝ち方とは

アメリカのコンテンツ産業はいまでこそ世界の王者みたいに見えるが、けっこう迷走していた時期もあった。すくなくともホラー映画のジャンルでは、1990年代の終わりから2000年代半ばまで長く低迷していた。

『リング』に代表されるジャパニーズ・ホラーに席巻されたのが原因だ。

1980年代のアメリカン・ホラーは『13日の金曜日』のようないわゆる"スラッシャー映画"というやつだった。ジェイソンみたいな馬力のあるサイコパスが若者を殺しまくる映画のことで、「そういうのが怖い」というのがハリウッドホラーの怖さのルールだったのである。

しかし90年代後半に『リング』や『呪怨』のようなまったく異なるタイプの怖さに接してショックを受けたハリウッドは、自分たちのルールに自信をなくしてしまった。

そして、ジャパニーズ・ホラーのマネをしようとして長く低迷した。ふたたび自信を取り戻したのは2000年代の半ばに『ソウ』のようなサイコスリラーで、新しいルールを見出してからだ。

現在のモノづくりの世界ではアメリカ流のマーケティングを前提に戦うのが唯一の勝ち方だと思われている。じっさい、東芝のHDD技術がiPodになってしまったのは事実だ。

しかし、あのハリウッドですら『リング』に出会って10年低迷したわけで、すごいものに出会って自分の勝ち方を忘れてしまうのは同じだった。

だとすれば、日本のものづくりがイマイチ調子が上がらないのは、もしかすると売り方がヘタだからだけではないかもしれない。ヘタだと思って委縮していることのほうが問題かも。

バブル崩壊以降の日本人が必要以上に自信を失い、相手のやり方が唯一の勝ち方に思えてしまって、勢いのつけ方を忘れている面もあるのではないか。

昨日の記事にも書いたけど、90年代までの日本製オーディオがいかに洗練されていたかを知っている。あのレガシーを捨てたのはもったいなかった。過去の成功体験を引きずるのもよくないけど、相手のルールにのせられても勝ち目はない。

ボトムアップでひたすら機能を磨いた先に、独自の美しさやおもしろさが勝手に生まれるのが日本流だった。

自動車産業には今でもこの勝ちパターンが残っている。軽トラックがわかりやすい例だ。あれほど利便性を追求した乗り物はないが、そのガチガチの利便性が海外でおもしろがられている。ハイブリッド車も、日本人の芸の細かさが世界でウケたという意味ではこのパターンだ。

昨日紹介したBS-TBSの報道番組では、EVの時代にトヨタがハイブリッド車にこだわるのを「正しい戦略」と評していた。

「ハイブリッドは時代遅れ。EVでなければエコではない」というのは、日本車の勢力拡大を食い止めるために、欧米がおこなっている刷り込みに近いそうだ。

かつてノルディック複合というスポーツでは、日本人選手の台頭を食い止めるためにスキー板が短くされた。F1レースでも、ホンダのエンジンを食い止めるためにレギュレーションが改正されたが、ああいったことに近いという。

日本だけじゃない。中国製品もまだ自分の土俵に上がってない感じがする。シャオミは立派だし好きなメーカーなんだけど、アップルのルールで戦ってもアップルには勝てない。むしろ、AndroidとWindowsを両方使える中華タブレットの方に可能性を感じる。中国製品のほんとうのおもしろさは上海雑技団みたいな過剰さの先にあるのではないか。

そう考えると、トヨタがハイブリッドにこだわり続ける姿勢は大したものだ。細部に磨きをかけているうちにつぎのなにかがポコッとでてくるかもしれない。それを捨てるのは頼まれもしないのにスキーの板を短くしているようなもので、欧米の土俵で勝負しても失われた20年が30年へ、40年へと延長していくのが見えている。


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