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なにが現実なのかは多数決で決まる

ぼくはあまりテレビを見ないのだが、これはひょっとして現実逃避しているのではないだろうか。日本社会の現実から逃げているのではないだろうか?「テレビを見る=現実逃避」ではなくて、「テレビを見ない=現実逃避」なのではないか。

いまウチのテレビにはFire Stickというものがさしてある。きっとたくさんの人が刺しているだろう。ちなみに今日はアマゾンの話ではありません。アップルのApple TVやGoogleのChromeCastと似たようなもので、これを差すとテレビがパソコンになってしまう。正確には「動画専用パソコン」と化す。

これをつけてからテレビを付けてもだいたいYouTubeを見ている。そしてテレビ番組から逃げるようにYouTubeに切り替えている自分に「あ・・現実逃避してるな」とおもったわけだ。

なぜテレビ番組から逃げるかというと「歌広場さんがどうした、グルコサミンがどうした」とやってるのを見るのがイヤだからだ。でも「みんなが見ているもの=現実」なわけで、もしかしてぼくは日本社会の現実から逃げているのではないだろうか。

みんなが見ているものが現実だというのは1万円札が現実なのと同じことだ。1万円は原価24円の紙切れだけど、みんなが1万円だと思い込んでいるので1万円分の買い物ができる。

仮想通貨だってもともとはネット上の決め事でしかなかったが、いまではあれで大金持ちになる人や破産する人がいるので現実のお金だ。世界中の人がそう思っているならそれが現実なのである。

やがてVR(仮想現実)が普及して、みんながVRのオフィスで仕事をするようになればあれは仮想現実ではなくて現実になる。いま、ネット上が現実になっているのと変わらない。

そして、なにが現実なのかは多数決で決まる。一票一票が積み重なった結果「日本の内閣総理大臣は岸田文雄である」という現実が生まれたのと同じように、みんながグルコサミンのCMにチャンネルに合わせたら日本国の重要資源はグルコサミンになるのである。

これまでぼくは小室さんのことを気にする風潮を否定するようなことを書いてきたけど、否定しても仕方がない。なぜならあれは現実なのだから。あれは1トントラックと同じくらい動かせない現実だ。

ただし、じっさいの選挙では自分がだれに投票しているのかわからないままで投票する人はいない。みな自分がだれに投票したかをおぼえている。

おなじく、日本のどういう未来に自分が一票を投じているのかさえおぼえておけばいい。そうすれば、あとはどういう未来に投票するのも自由だ。「日本の現実=世界の非現実」なわけだけど、自分がどちらに投票したのかおぼえてさえいれば、あとはみんなで背負う結果なのでどちらでもいいのである。

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