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ちょっとしたことばづかいにメディアリテラシーが表れる

最近、ずーっとモヤモヤしていることがあるので、きょうは思い切って書いてしまおう。ぼくは、基本的にしあわせに生きているヤツなので、モヤモヤしたままなのはイヤなのだ。

苦手なタイプの人についてである。ぼくは、社会に対して不満をためているタイプがすごーく苦手である。

その不満は言葉づかいに表れる。このnoteもたまにちょっとしたレスなどをもらったりすることもあり、反応はありがたいのだが、とはいえ荒れた言葉づかいのひとは正直いってありがたくない。

「お里が知れる」といういい方があるが、これは、goo辞書によると

言葉遣いやしぐさによって、その人の生まれや育ちがわかる。

という意味だそうである。これは、ネットにも当てはまる。荒れた言葉づかいからは、視野のせまさや、偏り、思考力の稚拙さなど、その人のバックグラウンドが透けて見えるものなのだ。

とはいえ、そういう人を引き寄せているのは、ぼくに原因があるのかもしれない。知らず知らずのうちにことばの荒れがちな人を引き寄せるような書き方になってしまっているのかも?

たしかに、このnoteではときどき「ウンコ」や「キチガイ」などと書くことがある。他人を中傷しているつもりはないのだが、荒れた言葉として受け取られているのだろうか。

ちなみに、ぼくは若いころから自分がキチガイだと思っているので、キチガイと書いた場合は自分をふくんでいる。また、「ウンコ」を連呼しているときは、小学生男子に戻っているのだと思ってください。

とにかく他人への怒りというのはないのである。

さて、こないだの記事で、ぼくは、EXILEというグループも浜崎あゆみさんの曲も聞いたことがないと書いた。ただし、聞いたことがないだけであり、べつに彼らのことを悪く思っているわけではないので、念のためにこうも書いた。

あれだけ有名なのだからさぞ優秀な人たちであるのはまちがいないとも思っている。

ほんとうにそう思っているからそう書いた。ちょっとエピソードを入れてみよう。EXILEさんじゃないんだけど、大物ということでたとえばつんく♂さん。

90年代にニュースキャスターの大桃美代子さんがテレビで言っていたんだけど、当時、彼女は大阪にレギュラー番組があり、それに出演するときは、いつも同じホテルの同じ部屋に泊まっていたのだそうだ。そして横の部屋がだいたいつんく♂さんだったそうである。

つんく♂さんの部屋からは、いつも夜遅くまで曲作りをしている音が聞こえてきていて、「すごいな~と思って、そのころからずーっと応援しています」と語っていた。

長年売れているミュージシャンというのはきっとこういうものだろうし、浜崎さんやEXILEもおなじだとおもう。才能に加えて、人のできない努力をコツコツと積み重ねてきているのだ。運だけで長く売れていられるものではない。

というわけで、あの記事に共感してくれて、リプで浜崎さんやEXILEさんを悪く言っている感じの人がいたけど、ぼくはそれに共感していない。

「マスゴミ」ということばも非常に苦手だ。これについてはすでにいろんな人がいろんなところで指摘している。たとえばこんな記事がある。

こんな記事もある。

みな言っていることは同じであり、引用すると、

総論を言えば、「マスゴミ」と言っている時点で、情弱だ。

ということである。

そもそも「マスゴミ」以前に、マスコミというコトバが時代遅れだ。マスコミとは「テレビ 新聞 ラジオの総称」なので、これだけネットメディアが発達し、なにが「マス」なのやらわからなくなっている時代では死語に近い。そのあたりの語感の古臭さには「マスゴミ」呼ばわりする人ならではのリテラシーの低さがあるというか、「ジーパン」みたいな昭和の香りがある(笑)。

ちなみに、ぼくが現在付き合っている人たちと会話する中でいわゆるメディアを指すばあいは「大手メディア」といういい方をすることが多い。

さて、そのうえで自己評価の高い人は、いたずらに人を見下したりしない。他人を「ゴミ」扱いしている時点で、

・自己評価が低い
・視野がせまくて、考えが偏っている
・他人の言葉づかいを安易に受け入れるクセがある

ざっとこのあたりのことは「お里」がばれるのである。初対面の女性に「ねえちゃん、年いくつ?結婚は?こどもは?」と聞いているレベルの恥ずかしさだ。

トランプ前大統領のことを「トラさん」と言ったり「トランプ劇場」などと安易な物言いをする人も同類だといえる。

それにしても、きょうは言いにくいことをなるべく人を怒らせないようにと思って、何度も書き直して書いているので疲れるなー。こんなのは今日で終わりにしたいですね。

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