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レイクハウスで一人になりたい

あなたは友だちがが多いほうだろうか少ないほうだろうか。ぼくはかなり少ないほうだ。ただしこれくらいでちょうどいい気がする。いまは在宅ワーカーだから人との接触はほとんどないけど、これくらいでいい。

かつて教師をやっていたころ、「学校で友だちができない」という相談を持ってくる学生がちょくちょくいた。それに対してぼくは「ともだちというのはムリしてつくるもんじゃなくて勝手にできていくものだから自然に任せていればいいんじゃない?」という答えを返していたのだが、たいてい不満げな顔で帰っていく。

そういう答えを聞きたかったわけじゃないのだろうが、今でも考えはかわらない。ムリして作った友だちなんか長続きしないし、どこかでおもねったり不自然な関係になってしまうので疲れるだけで楽しくはない。気が合わなければ無理して一緒にいる必要などない。

とはいえ、ぼくは人づきあいが苦手なわけではなく、むしろ、きさくなほうだろう。たいていの人とはすぐにでうちとけるし、おしゃべりである。ただし、ひきこもりたくなることも多い。

昨日がそうだった。3時間くらいしか寝てなくて朝から確定申告の計算をやっているところに昼前に仕事が入ってそれが夜中の2時までかかった。

そのあいだにお米屋さんに精米にいき、歯医者さんで治療してもらい、noteも書いた。それらが全部終わって真夜中の2時にネットニュースをみていて「不倫で離婚したHという俳優さんが事務所をクビになった」というニュースを読んでいて、なんだかぜんぶがイヤになってしまった。

「ああ、上の写真みたいなレイクハウスで一人っきりになりたいなあ、などと思ったのである。しかし、ここに矛盾がある。

かりにぼくがその念願のレイクハウスで一人のなったとしよう。でも、そこで何をするかと言うと、釣りをするのでも、野鳥を観察するのでもなく、たぶん映画でも見るのだ。

もしぼくがレイクハウスに『デス・ノート』のDVDを持って行って、それを見て癒された場合、その映画には事務所をクビになったHさんが出演している。Hさんのスキャンダルがいやでレイクハウスに引きこもったのにけっきょくはHさんの演技に癒されていることになる。

そもそも「映画」というものにはたくさんの芸能人が出ており、そういう芸能人の不倫を扱うのがスキャンダルなわけだから、ぼくがレイクハウスに引きこもって映画を観るということは、芸能人を観察しているのと同じことだ。じぶんなにに疲れてなにに癒されているのかよくわからない。

これは映画にかぎらない。人間を描いているという点では小説もマンガもおなじで、ひきこもって小説やマンガを読むということは、結局は人に出会っているのである。

じぶんはひとりになってどうしたいんだろう?いや、ほんとうにひとりになりたいのだろうか?

たぶんぼくは人がイヤなのではなくて、情報過多がイヤなのだと思う。さまざまな憶測がながれて、みんなが過熱してワチャワチャしている状態がイヤなのだ。レイクハウスでおちついた人と出会う分にはぜんぜんイヤではない。

なので、ぼくが「ひとりになりたい」と思う時は、人間をイヤになっているのではなくて、騒音の中にいるのがイヤなだけであり、自分がレイクハウスに求めているのは静けさなのだと思う。

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