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ラジオやテレビを大音量で鳴らす人はモノを考えない

国際宇宙ステーションでは、狭いスペースでプライバシーを保つためにヘッドフォンを使うそうだ。空間を遮断しなくても音を遮断すればある程度のプライバシーは得られる。

逆に、いくら壁やカーテンで仕切っても音がつつぬけではなかなかリラックスできないものである。音環境は心の平安をたもつ上でとても大事なものであり、それを乱すのは暴力と同じだ。

普天間基地で問題になっているのも騒音。暴走族がめいわくなのも騒音。右翼の街宣車も騒音だ。これらは空間を侵してくるわけではないが音がプライバシーを侵してくる。

日本人はわりにそういうところに鈍感な人が多いようだ。かつてあるアメリカ人記者の日本滞在記を読んだ際に「村役場の放送の音が耐えられない」と書いていた。拡声器で朝昼晩にガーガーピーピーやられるのがたまらないという。僕の住んでいる埼玉県某市も定時になると市が拡声器で音楽を流すんだけど「時計は持っているので放っておいてほしい」とよく思う。

拡声器もこまるけど、ぼくがいちばんイヤなのはAMラジオをガンガン鳴らす人だ。ウチの父親である。一日中カーラジオやポータブルラジオをガーガー鳴らしている。こどものころから聞いているから慣れるかというとぜんぜんそんなことはなくてずーっと苦手である。ぼくにとっては「AMラジオ =頭が悪くて下品」という図式が成立している。

いまとなりの家で工事をしているんだけど、ずーっと大音量でAMラジオを鳴らしている。ガーガーどころかブンブンと壁にひびいて翻訳に集中しようと思ってもできない。しかたなくこちらも大音量で音楽を聴きつつ仕事をするのだが、だんだんストレスがたまって眠れなくなってきた。そこで一昨日「ラジオの音を小さくしてもらえないか」とたのみにいってきたところだ。

偏見を承知でいわせてもらうと、テレビやAMラジオを大音量で鳴らしている人にはニブい人がおおい。あの状態でじっくりとモノを考えることはできないので、あれが平気な人はきっとものを読んだり考えたりする習慣がないのだろう。パチンコ店の大音量もおなじで、禅寺で軍艦マーチがかかっていたら座禅を組むのはムリである。逆にいえば、騒音で頭をみたさないと心細くなるくらい思考停止しているのかもしれない。とにかくぼくはああいうタイプの人とは徹底的に合わないのである。

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